. 1992 The Search for Global Order2 in Japanese |
「世界秩序の模索: 生存の諸問題」
専門家グループによる結論および提言 議長:ヘルムート・シュミット 1992年1月7−8日 |
I. 世界秩序の模索 II. 冷戦後における新たな危険 III.平和と安全保障 1. 核非拡散とソ連の崩壊 2. 非拡散条約の将来 VI. 人口、開発、環境、地球温暖化の関連性 1. 人口爆発 2. 環境悪化と地球の温暖化 政治や安全保障の問題とは異なり、世界経済は 1989年のベルリンの壁崩壊前の状況と基本的には同じである。共産諸国の遺産として、経済、社会、環境の崩壊が立証された。世界的な経済不況が、とりわけ先進工業国における指導者達への国民の支持を低下させており、先進工業国は下記の問題に悩まされている。− 成長の潜在的可能性よりもはるかに低い経済成長 − 持続する高い失業率 − 巨大な国内および国際的な不均衡 − 開放貿易に対する悪環境と保護主義への圧力 − 金融市場の構造的不安定 − 一層拡大する南北間の格差 こうした執拗な問題に適切に対処したり、基本的な社会目標を確実にするためには、市場メカニズムは万能薬ではないことが立証された。一方では、経済成長と福祉の向上を達成させには、全般的にみて市場経済より優れたシステムはない。その一方で、市場そのものは満足のいく所得配分をもたらすものではなく、弱者や組織外の者たちを排除する方向に働く。有意義な仕事を与えられない人々に対し、社会はいかなる尊厳と希望を与えうるのか。相対的に豊かな西欧諸国でも、 10年前より所得格差と貧富の差が広がった。その結果、これらの国々では複数の社会・経済ブロックが形成される恐れが生じる。「トリクル・ダウン」(上から下への浸透)論も同様に失敗した。先進工業国と発展途上国間の落差のみならず、各国間においても見られる生活状態と貧富の差に対し、世界は何らかの手を打たなければならない。東欧諸国と旧ソ連が市場経済を選択したことを西欧は喜ぶべきである。しかし、これらの国が、今後10年間に前進するためには、かなりの資金の流入を必要とするだろう。市場自体は「外的のもの」とする環境の基本的問題に対処する能力を持たないことが証明された。世界の貧困,飢餓、人口増大の問題に関しても市場にその解決を求めるわけにはいかない。 先進工業国は巨額の資金に対する新たな需要に直面しよう。とりわけ環境の保全、開発の促進、東欧の再建、核兵器の解体に関連する資金需要は大きい。家庭、企業、政府の貯蓄が増大されない限り、現在の総貯蓄でこれらのニーズを満たすことは不可能である。どちらかといえば、先進工業国での貯蓄率は減少の方向にある。世界で最大の経済が、何年間も借入政策をとり続け、他の国々からの借金で賄ってきた事は深刻な懸念の種である。各国政府は貯蓄を刺激する措置を採ることをもはや遅らせてはならない。 1980年代の政策は開発途上国の資金流出を流入より大きくしてしまった。これは部分的には資本の逃避と汚職に由来したが、一部は債務返済の厳しい義務があったことが要因となっている。 世界経済の安定を脅かす危険が、金融市場の地球化び結果として新たに浮上してきた。不安定な活動は、広範囲にわたる地球金融の崩壊という脅威をもたらし、世界経済が必要とする信用や資金の流入を危機に陥れている。金融は世界的事業となってきているにもかかわらず、それに対する管理や規制は依然として国家の領域にとどまっている。金融活動に対する監督は現在おおくの国々できわめて不十分な状況にあり、国際的な監督は全くなされていない。予想される金融の崩壊を防御するためにも、早期に規則に合意し、透明度を強め良識のある規制および監督の専門家を選出しなければならない。 保護主義への一層の傾き、および二国間貿易主義の再興の危険は大きい。これは世界経済の第一の成長の源泉の首を絞めてしまうことになる。従って多国間主義は主要先進国間の対立の危険を除去するためにも、ガットのウルグアイ・ラウンド以降も継続的に強化され採択されるべきである。この文脈において、農業への膨大な補助金という経済的な愚策は維持しきれない。 いかなる秩序といえどもその機能のすべてが現実的かつ組織的な取り決めによって支持されなければ、抽象的なものに終ってしまう。目標は可能性のある手段と政治的現実に見合ったものでなければならない。きわめて複雑な国際関係は、既存のあるいは新たな組織が相互に補完し合い、相互に関連性があるか、もしくは相互に拘束力のある集団の中で行動することを要請している。そしてこれは組織の氾濫を招かずになされるべきである。しかし、国際的役割という正当性を持たなければならない国際機関ないし地域機関への参加の相乗効果の一つは、参加国政府がますます共通の価値観と基準を持つようになることである。 環境悪化、貧困、過剰人口等の地球的課題を議論し、調整し、対処するにふさわしい場はいまだ存在しない。地球そのものの安全保障が脅かされている今日、安全保障理事会のようなメカニズムが必要なのだろうか。 いまだに確実な青写真は存在しない。こうした問題に関連する質問すら確立されていないのである。既存の組織を強化することも一つのアプローチかもしれないし、既存の国際法を強化してもよいだろう。 今日の危険は、とりわけ安全保障の分野における新しい概念、手段、メカニズムの進化を必要としている。紛争が発生した場合に戦争の危険を伴う紛争の防止を目的とした介入、あるいは戦争そのものに対する介入を保証できる組織は存在しない。紛争中の当事者間で勢力の介入を通して和平を図る管理能力が必要なのである。 冷戦は 40年以上ものあいだ国連を限界線に押しやってしまった。米ソが大むね合意に達した過去数年間は、国連にとっては例外的な好条件が整ったということで、若干国連そのものに欺まんが生じたといえる。弱点や欠点があることや、官僚が多いということがあるが、国連の存在は特に新たな挑戦に対する調和のとれた国際行動を立案する手段として不可欠である。しかし、希望だけを先走りさせないためにも、国連は一層の効力を持たなければならない。国連の安全保障の分野における役割強化が直接もたらす影響は、各国政府がその外交活動の概念と外交問題での態度を変えることである。新しい秩序の中で、国連は2つの新しい任務を担うべきである。 ( a)和平、平和の維持とその施行からなる集約的かつ全世界的に信頼しうる安全保障のシステムを確立し管理すること。( b)持続可能な成長と開発を含む集約的な経済安全保障システムの確立に向けて努力すること。こうした集約的安全保障のシステムは、世界の動きを恒久的に視察し、紛争を封じ、阻止し、抑制し、調停し、弱小国を確実に保護し、確固たる態度で侵略者に対処するものでなければならない。最も力のある国々の利益を脅やかす時のみ国際的行動がとられるというのではもはや受け入れ難いことである。 紛争当事国の要請に基づいた平和維持の伝統的な役割と、安全保障理事会による強制行動(例えば韓国やイラク・クウェート戦争)を超えて、国連は紛争管理の新たな手段に関与すべきである。その目標は、民事、民族紛争の結果として偶発的暴力を終結させ、対処しがたく見える紛争の政治的解決を立案し、人道的救済活動が行える状況を作り、紛争の当該者を調停に促すことである。和平は戦争よりもはるかに安くつくという事をすべての大国は認識すべきである。 その目標に向かって、国連憲章の 43条は活性化されねばならず、国際的軍事ないし警察準備部隊を招請し、強固な介入によって暴力と人間社会の破壊を終結させるために敏速に配備できる権限を安全保障理事会に付与すべきである。この目的に準じる部隊は特別な訓練を受け、履行のためには特殊な武器を設計するべきである。さらに世界の兵器貿易に関する統計を査察し、発表し、兵器の供給国と購入国双方に対し世界的な基準、規制、限界を強制する権限を国連は与えるべきである。安全保障理事会の5大国(主要武器輸出国)による兵器輸出に関する規制は不明瞭である。兵器輸出に関する国際的モラトリアム、あるいは基準に合意するため、あらゆる努力を払わなければならない。 すべてではないとしても、NPT条約を含むほとんどの軍事安全保障問題に関する条約は国連外で推進され批準されてきた。従って国連は違反に対処できず、特定の条約を受け入れない国に対して権威を持って介入することもできない。もし抑制されなければ、ますます複雑化する世界における条約および協定システムの不在の中で、多くの関連措置および機関は管理不可能となるであろう。従って、もし可能であるならば、すべての国際的法律手段を徐々に国連の傘下に入るていくべきである。 集約的な経済安全保障およびび開発制度の創設は、戦略・軍事と社会・経済双方の安全保障を目指す国連憲章と同調するものである。しかし過去45年間、社会・経済上の安全保障の側面は十分に機能しなかった。 政治的側面や軍事面と異なり、いかなる国家または国家集団といえども経済・社会分野における決定を実施しうる力や資源を持っていない。集団安全保障制度は地理的にも、また多くの場合時間的にも限定されたものではあるが、経済・社会問題は常に流動的であるため、これに関して軍事面のような明確な図式を描くことは不可能である。この事実は、独立機関の過剰な乱立が調整なしに経済・社会政策および計画を遂行するという国連制度の性格に反映されている。しかし経済・社会問題は往々にして軍事紛争に先立つものであり、したがって経済・社会面を統治する有効な手段は、長期的には敵対関係の発生防止に効果的だといえる。 新たに生じている地球的問題は、その性格上、国連制度の大幅な再編を必要としている。その中には、国家の主権の一部を世界組織に委譲することも含まれる。これまでにも現行制度の欠落部分を埋めるために様々な改革案が出されてきた。例えば、平和と安全に対する新たな脅威に対処する安全保障理事会の特別会合の定期的開催、地球−−または経済安全保障−−委員会の創設(安全保障理事会に沿るが拒否権なし)、そして非植民地化から地球の環境や共有地までの信託統治ができるよう信託統治委員会の権限の改編などがあげられよう。 より簡便な解決策は、経済社会理事会(ECOSOC)の性格と権限の改革かもしれない。 経済政策の策定において、ECOSOCはブレトン・ウッズ体制をより好む主要国から無視されてきたといえよう。しかし、今変革への機会があるかもしれない。ECOSOCは、重要かつ緊急を要する世界的な問題で、しかもECOSOCの監視と多国的な強制を受け入れる問題のみに集中すべきである。またECOSOCのメンバー国数も現在の54カ国から減らし、より管理しやすくかつ有効な機関にする必要もあるかもしれない。その活動方法も国際的な現実により即したものにしなければならない。とりわけ、必要に応じて随時会合を開き、閣僚級の出席を要請し(OECD、G7、ブレトン・ウッズ機関と同様の体制)、そして国際非政府機関、多国籍企業、労働組合、民間銀行、議員等から組織的に各々の専門知識や技術を引き出すことなどを実行しなければならないだろう。 国連憲章の改正手続きの複雑さが上記の線に沿った改革を困難にするのであれば、経済・社会面の集団安全保障は国連体制の枠外で組織される必要があろう。これは長期的には国際平和の達成という報償とつながるかもしれない。 国連の開発援助計画の再編成と決定過程については特別の注意を要する。これらの援助活動は、国連開発計画(UNDP)、国連児童基金(UNICEF)、国連人口基金(UNFPA)、そして数多くの特種機関で分散され分割されてきた。これらの国連機関が従うべき開発戦略や、開発途上国でこうした戦略がいかに実施されるべきかについての方向は統一されていたなければならない。このような改革は国連憲章の改正を必要としないので、速やかに実行されるべきである。 全般的に言えることは、過去45年間に不必要に増え、しかも互いに競合する多くの国連関連機関は整理されなければならない。機関の合併も一つの方策であるし、国連制度を跨ぐような協調方式(世界保健機構、世界銀行、UNFPA、UNDP、そして資金供与国と受領国の全部を網羅した世界再生産調査計画がこの方法で成功している)もよいかもしれない。 環境の分野では、環境問題の紛争に裁定を下すための国際環境裁判所を現行の国際裁判所の中に設立するか、あるいはそれに沿った形のものを条約案の下で創設しえよう。 五大常任理事国に突出した重要性を付与している安全保障理事会は、過去の世界秩序を反映した組織となってしまった。同理事会は、新しい世界秩序の中でその責任を全うするのに必要な正統性、権威、そして政治的、財政的支持を得られるよう改革されなければならない。国連を新しい秩序の中核的存在にしたいと真に願うならば、国連憲章の改正手続きの複雑さ、困難さなどの法律論の横行をこれ以上許すべきではない。またこうした努力は、より現実的な財政分担を実現するような方策と連携されるべきであろう。
新しい世界秩序はリーダーシップなくして出現しないことを歴史が証明している。冷戦の終焉は多くの国の人々から中核的な組織原理を奪ってしまった。そのため、特に核拡散防止や新たな民主主義の推進と育成、そして新たな世界的脅威への対応の分野でリーダーシップを提供するまたとない機会が訪れた。指導者達に求められる第一の義務は、指導することであり、国民の心情に従うことではない。全般的に人々はさし迫る危険に気がついているようだ。しかし多くの政治指導者はこうした危険に対処しきれないでいる。 政治指導者は、短期的国益はもはや全人類が共有する新しい地球的挑戦とは分離できないということを認識すべきである。あまりにも長期間、最終目的のための政治的な紆余曲折が政治的日和見主義で代替されてきた。世界の指導者達は新しい道路地図を持たなければならない。もう変化に対処するだけでは不十分であり、人間の行動そのものを変えることが不可欠なのである。 博愛主義や倫理のみでは物事は動かない。またわれわれもそう思うほどナイーブであってはならない。われわれが必要としているのは啓蒙された自己利益であろう。より多くの資金の提供を要請される国々は、自らの利益、生活、そして選挙民に影響が及ぶことを完全に理解して初めて要請に応えるのである。ラテン・アメリカは今日核を持たないが、これは条約や有効な査察技術のためではなく、指導者たちの意図的な決定によるものである。 明らかに官僚的な問題もある。すなわち国内政策や外交政策に関する政府内での分割化、次の10年あるいは来世紀の問題よりも明日の心配、そして「計画」が持つ格好悪さやそれに付随する様々なものなどである。 しかし官僚というものは究極的には指導者が指導する方向に従い、問題を国民に明らかにするものである。政府にとって最も重要な挑戦が国益と世界の安全保障間の均衡をとることであるという点は、いくら繰り返し主張しても十分といえない。こうした均衡を具体的に示すことは困難であるし、またそれぞれの問題によっても異なるからである。しかし、破壊力を持つ物あるいは破壊的な目的に使えるあらゆる物の拡散が加速しつつある現実を、もはや無視することはできない。 指導者にとって最も崇高な義務は安全を確保し、国民に対し未来のビジョンを提示することであろう。指導者達は最も広い意味での地球的安全が保障されない限り、究極的には一国のいかなる側面の安全をも守ることは出来ないということに気づくべき時がきた。それには最も根本的な態度を変えることが必要とされよう。 専門家会議参加者 カウンシル・メンバー Helmut SCHMIDT ドイツ首相(1974-82); 議長 専門家 Sune BERGSTROM (Sweden), Professor,
Karolinska Institute; Nobel Laureate 招待ジャーナルスト Robert LEICHT (Germany), Die Zeit 事務局 Dragoljub NAJMAN **** インターアクション・カウンシルは、この専門家会議の為に寛大な支援をしたフォード財団とウィリアム・P・ロックリン氏にお礼を言う。 |
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