. 1992 The Search for Global Order1 in Japanese

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「世界秩序の模索 生存の諸問題」

 専門家グループによる結論および提言

議長:ヘルムート・シュミット

1992年1月7−8日

於:ドイツ、ペータースブルク

I. 世界秩序の模索

II. 冷戦後における新たな危険

III.平和と安全保障
    1. 核非拡散とソ連の崩壊
    2. 非拡散条約の将来

VI. 人口、開発、環境、地球温暖化の関連性
    1.  人口爆発
    2.   環境悪化と地球の温暖化

V. 経済、金融部門における挑戦

VI. 効果的な機関、メカニズムと手段

VII. 世界秩序の中のリーダーシップ

 

I. 世界秩序の模索

 世界は重要な転換期にある。われわれの後にはほぼ半世紀にわたる息のつまるような冷戦と超大国による世界管理があり、われわれの前には平和、協力、対話という新たな時代を迎える歴史的チャンスがある。すでに、新しいがより複雑な世界の輪郭がかすかに見え始めている。すなわち、東西紛争の終焉、主権国家であり戦略的超大国であったソ連の死滅、新しい競争関係を生み出す政治単位の出現、地球の存続そのものを脅かす深刻な全地球的問題の氾濫などである。しかし、古い秩序は消滅したものの、予測しうる国際関係の枠組みをもたらす整合性のある新秩序はいまだに構築されていない。紛争管理と国際協力はこの過渡期にこそ重要である。さらに、国益と地球的利害との関係を再定義せずに、また新しい機関、メカニズム、手段なくして新時代は考えられない。そして、こうしたものは、実行力ある政治の指導者なくしては構築できないのである。

 1648年のウエストファリア条約以降冷戦の終焉にいたるいわゆる古典的な世界秩序は、国家とブロックの相対的に安定した配置、および国家主権を持続させる中でのパワーの均衡という支配的概念に基づいていた。しかし、主権主義は浸食されてきたし、今後もそうであろう。

 冷戦に内含されていた予測可能性は、新たな国家集団に取って替わられた。すなわち二大国を中心とした世界は崩壊し、パワーの中核が小さな政治単位に分裂してしまったのである。逆説的になるが、新興国家が独自性を主張したいという願望が、国家主権と国益を再び強化させる結果をもたらしている。最も緊急を要す挑戦とは、すべての新興国を参入させ、相互の関係と紛争を管理しうる規則と共通の構造を確立することである。このような近代的な世界秩序を創設するには10年から20年という年月を要すだろう。

 これまで冷戦の影に覆われてきた国際社会は、ますます人類に害を及ぼすものとして認識されるようになってきた新たな脅威に対し、これ以外に効率的に対処する術を現在もっていない。その新たな脅威とは、環境の悪化、生物圏の枯渇、気候の変化、温室ガスの放出、人口爆発と国境を越えた人口移動、エイズ、麻薬取引、人種間および地域間紛争、無神経な人権無視、さらに核とテロリズムの拡散である。新しい協力的な世界秩序は人類を自己破滅から守れるものでなくてはならない。新しい概念と世界を統治する手段は国際法に統合されなければならない。この課題は次世紀まで続くであろう。

 相互依存の現実と地球的挑戦の多様性に対する認識に基づいたこのような秩序は、必ずしもより強い協力関係を作りだし、紛争の解消をもたらすものではない。各国間で自発的な協力を推進する過程における主権の移転もまた、紛争の種となるかもしれないし、新しい国家の多くは、国際的な要請に対して狭量な見解を持つかもしれない。多様化する利害、不調和、イデオロギーや宗教の衝突が、対立と緊張を生み出すかもしれない。このような危険に立ち向かうためには、紛争管理の新たな規則とメカニズムが工夫され、適用されなければならない。

 国家主権と普遍的に受け入れられる水準で定義される新たな地球的問題との矛盾に対処するには、既存のメカニズムを強化しなければならないだろうし、新しいメカニズムも創設すべきだろう。ここでの重要な疑問は、従来と同様に今後も主権国家の国境の不可侵性が尊重されるのか、それとも普遍的に合意された基準が守られない時には介入する権利(ないし、義務ともいえよう)が存在するのかということである。今日南北間に存在するような極端な貧富の差がある世界では、いかなる秩序にも正当性はありえない。より良き均衡が達成されなければ、永続的な平和はありえない。人権と市場が支配的な特徴となってはきたが、権力主義的な政権は存続している。普遍的な基準と民主主義の原則は存在するものの、民主主義の実践にあたっては同一性も共通性もない。複数主義なくして民主主義は考えられない。各国の経済、社会、文化の発展の度合いが、各国の政治制度における民主主義の中味と特徴を決定する。しかし、価値観には普遍的な側面があり、その中で最も重要なのが人権である。国際法の対象として十分に認識されなければならないのは、国家でも国家間の関係でもなく、個人なのである。大規模な人権の侵害が続く場合には、人権を守るための介入の権利は不可欠である。このような概念は、古典的国家主権および国境の不可侵性の原則下では考えられなかった。

II. 冷戦後における新たな危険

 東欧における全体主義政府の消滅、いまだ進行するソ連の崩壊、そして世界の多くの国々でみられる民主主義の確立が賞賛されている。しかし、この賞賛あるいはそれによる自己満足の故に、今日のこの変わりやすい状況に内在する危険そのものに対して盲目になってはならない。こうした危険を直視するべきである。

 政治単位がより小さな単位に分裂している中で、国家の利害が再び脚光を浴びつつある。少数民族による自決権の探求は事態を一層複雑にしており、より大きな単位の主権を侵食している。この過程で、複雑な領土紛争がいくつか発生する恐れもあり、これも国際社会が解決の方向へ支援しなければならない問題の一つである。ユーゴスラビアやアゼルバイジャン問題は、ナショナリズムの可能性と政治の細分化への動きを不幸にも暗示している。

 東欧における政治的、経済的変化は特に不安定要因となっている。民主主義は必ずしも確立されてはいないし、政治的な極端論が再び出現することもありえよう。財政、通貨政策が厳しくコントロールされなければ、このような国々の多くにおける経済システムの移行過程の管理によって、民主主義の安定が損なわれることにもなりかねない。

 民族紛争や国境紛争には、新しい国家の認知に関するガイドライン(欧州共同体によって採択された)が厳格に適用されるべきである。しかし、西側はそのような条件をつけるより援助を供与しなければならない。

 欧州ではロシアとドイツの覇権傾向の可能性に対する懸念が表明されている。前者は東欧のみならず、欧州大陸全体に対する危険性をはらんでいる。いまだに欧州にはそのような状況に対抗するメカニズム、例えば欧州安全保障評議会といったような場がない。ドイツに関しては、欧州共同体がそのような懸念を取り去るような進展を見せるかもしれない。

 われわれはまた、驚くほど大規模な国際的移民問題に直面するかもしれない。これは、必然的に新しいタイプの紛争をもたらすであろう。つまり、警察の介入が地域間紛争を戦争にまでエスカレートさせるかもしれないということである。このような民族移動の過程は、人口過剰、環境破壊および経済的、社会的な未開発といった決定要因が改善されない限り阻止することは不可能であろう。

 死滅したかに見えるイデオロギーの対立は、世界的に存続している。新しいタイプの宗教紛争の可能性もある。宗教とその政治的解釈が、実際には飢餓、貧困、あるいは絶望的な経済状況から発生する紛争のイデオロギー的手段に変化するかもしれない。宗教の原理主義または他の形態の宗教的イデオロギーの拡大を装って、新たな帝国主義が台頭することもあるだろう。こうしたことは、中央アジア、南アジア、南西アジア、中近東およびアフリカの一部で発生する可能性がある。そして、すでにバルカン半島では発生している。宗教紛争を装ったイデオロギー紛争が将来における緊張の第一の原因となろう。

 地域的暴力も世界中で増大するかもしれない。これは、一方が他方を暴力で襲うというよりも、主として相互暴力という形態をとろう。世界の大部分では、個人が銃やその他の武器を容易に入手することができ、これが地域的暴力、犯罪、それに関わる警備の問題をさらに悪化させている。特定の国々において強力なロビイストが存在するものの、武器の保有を犯罪とみなし、法的に取り締まる努力を重ねなければならない。これは、何よりもリーダーシップと政治的意志力の問題である。地域的な運動もこの問題に対する効果的な方策だろうし、国際的介入もその一つであろう。

 新秩序が出現するか否かは、特に平和と安全保障への現実的あるいは潜在的脅威に対する政策の選択にかかっている。最も威圧的な挑戦については後に復唱しよう。これは、あらゆる大量破壊兵器の拡散から、経済、社会、人道、環境の分野と、広範囲におよんでいる。

III.  平和と安全保障

 冷戦は終結したものの、その究極的な手段が破棄されたわけではない。かつて大量破壊兵器を保有していた国はわずか数カ国であった。今日、核保有超大国の崩壊がある部分要因となって、多くの国々が核を入手しようとしている。これが新たなタイプの紛争をもたらそうとしている。核兵器、そのハードウェアおよび技術の漏洩と拡散を防止するためにも、集団的な努力が必要とされている。同様に、化学兵器、生物兵器、弾道ミサイルも抑制されなければならない。世界は、核およびその他の兵器に対する強力かつ信頼のおける規制を持ちうるか、あるいはまったく規制できないかの分岐点に立っている。

1. 核非拡散とソ連の崩壊

 ソ連は崩壊したが、以下にあげる三つの特有な問題が核非拡散を危険に陥れている。

a)放置された核: 旧ソ連邦の領土には依然として15,000の戦術核兵器と12,000の戦略核兵器があり、その存在自体が明らかに危険性を帯びている。これに対して、安全な新しい核の指令系統を緊急に必要である。さらに、戦術核兵器をロシアに移転し、いずれ破壊するという決定は完全に実施されなければならない。

 しかしながら、ソ連の後継国家群である独立国家共同体(CIS)は、このような膨大な核兵器を短期に解体する技術的能力も資金力も持ち合わせていない。この解体と破棄には、年間数十億ドルのコストがかかる。国際社会はこの恐ろしい任務を支援しなければならない。西側諸国は、ただちにこの核分裂物質の製品に不可欠な設備、抑制力および貯蔵技術を供与すべきである。

b)ホワイト・カラーの外人部隊: 核兵器のノウハウは、数十万にものぼる最近失業した技術者、科学者、専門家等により拡散されうる。このような不穏な動きの査察以外にも、核兵器の解体および原子力発電所の安全基準を改善する民間原子力計画と関連して、国際社会は適切な雇用プログラムを創設し資金援助しなければならない。

c)国家の核願望: 内密に核兵器計画の野心を抱いている特に中近東とアジアの国々は、CIS諸国から核兵器の外人部隊を招請しようと試みるだろう。これは、核拡散の問題を悪化させる。従って、CIS諸国においては原子力専門家の頭脳流出を阻止する措置を採るべきである。

2. 非拡散条約の将来

 核非拡散条約(NPT)の遵守は拡大されねばならない。フランスと中国はやっと調印国にならんとする意志をみせている。CIS諸国は、同条約に加盟するよう勧告されるべきである。その他多くの非調印国がすでに核兵器を開発したか、開発の課程にあるものの、NPTには調印していない。こうした国々は地域的枠組や国連を通して働きかけられるべきであろう。その他数カ国は、核兵器開発計画に従事していると思われるが、未だその意図と能力を認めていない。

 国際原子力エネルギー機関(IAEA)はより強力な権限が付与されるべきである。従来、同機関はNPT調印国の領土での査察は行えなかったが、すべての原子力設備を査察しうる権限を与えられるべきである。このためにもIAEAには、多額の資金援助が供与されるべきである。

 より多くのNPT調印国が、G7諸国の政策(完全な安全措置を受け入れた国にのみ民間原子力問題でも協力する)を採択すべきである。

 北東アジアにおいては、北朝鮮が1993年の初頭には核保有国になりうることから、拡散の連鎖的危険の影が落とされている。もしもIAEAの安全措置体制に従って、北朝鮮のすべての核設備を国際監視下に置くという合意がなされ実施されれば、1989-90年の中央ヨーロッパと同様に比較的平和裡な革命が同地域でも見られるだろう。合意がなされなければ、北朝鮮が核保有国として台頭し、韓国の軍事的野心と米国、日本、中国、ロシアの戦略的選択肢に大きな影響を及ぼすことになろう。

 1995年には核非拡散条約が再検討される。最低でも、同条約は今後25年間延長されるべきである。その期間、調印国の脱退防止措置を含む非拡散は強化されるべきである。核五大国は、核兵器削減に対する条約義務を真剣に履行し、核非拡散条約が不平等の法典化を意図しているのではないという信頼性を確立しなければならない。

 核大国は、非核の安全保障が非核諸国のみを対象にしているのか、それが核保有国にとっても選択肢となりうるのかという質問に対して公開議論すべきである。そうすることで何らかの対象性が確立されるだろう。従って、それに要する時間とコストは度外視した上で、すべての核兵器の廃棄が長期的目的であることを核大国は明瞭に宣言すべきである。

 この目的に向かっての核非拡散条約の再検討とその延長課程は、特定のトレード・オフをもたらすはずである。すなわち、すべての核保有国は、核実験全廃条約の調印に自主的にコミットし、核兵器の非先制使用の原則に同意し、非核保有国ないし核兵器禁止地域には核兵器を使用しないこと、または使用するという脅威を与えないということを誓うべきである。

 関係核諸国のすべてが核兵器の破壊に向かって動くよう、条約が締結されるべきである。すべての核兵器の排除ないし破壊、またそれに関連する汚染防止はきわめてコストを要す活動である。米国と独立国家共同体にとって、こうした努力は両国の軍事予算の約10パーセントを占めることになるだろうし、それぞれ200億ドル以上をねん出しなければならなっくなる。非核分裂のある部分は破壊できるが、核分裂の物質は貯蔵しなければならない。国際原子燃料サイクル審査機構は、エネルギー関連を目的とした国際的なプルトニューム貯蔵問題を研究した。安全保障の観点からもこの問題は検討されるべきである。安全に保存しうる設備は、不可欠な前提である。そのような条約が締結されるまでは、旧ソ連の1000から2000におよぶ弾頭の削減をめざして交渉が進められなければならない。その後、英国とフランスの核兵器について考慮すべきである。

 核分裂物質の解体の可能性を科学者達は決定しなければならないだろう。もしも現実的に可能であれば、兵器用プルトニュームや凝縮ウラニウムを元の物理状態に戻す過程の一つとなるかもしれない。

 原子力分野における措置も、通常兵器の削減と平行して採られるべきである。警戒および非常事態態勢の水準も下げるべきである。特定の上限と大幅な通常兵器の削減をうたった欧州通常戦力(CFE)条約をこれには適用させるべきである。旧ソ連は批準しなかったが、この条約は今日ではあまりにも時代遅れの感があることから、交渉を再開すべきであろう。

 開発途上国における、兵器の削減は報償に連携させればより達成度は高くなる。削減に対する明白な報酬を用意すべきである。政府開発援助(ODA)を受領国の軍事費にリンクさせることも一例であろう。軍事費が低い国ほど、多額のODAを与えられる機会が高まるようにするのである。

 生物兵器拡散の抑制に対しても、報償は同様に効果的であろう。生物兵器の開発とワクチン接種の関係はきわめて緊密であり、ワクチンによっては二重の適用性がある。従って、生物兵器条約を支持し、国内での監視に同意する国に対してはワクチン計画を支援する基金を創設することも可能となる。

 兵器貿易は依然として規制されておらず、いかなる政府や国際的コントロールも効力がない。先進工業国は、特に開発途上国に対する有害な兵器輸出を規制する兵器輸出政策を推進すべきである。

VI. 人口、開発、環境、地球温暖化の関連性

 人口増加、未開発および貧困は密接に関連し合っている。世界の人口爆発は国々を次から次へと窒息させていくかもしれない。これは徐々に地球規模での生態を枯渇させ、海面の上昇と農地の損失をもたらす壊滅的な温室効果を加速させる。これはまた、貧困、疾病、紛争の悪循環を増強させ民族大移動のきっかけともなりうる。

1.人口爆発

 今日、世界の人口は50億人を超え、40年ごとに倍増している。世界人口は、2025年までに80億から140億に達すると、さまざまに筋書きされている。低い方で安定するか、高い方になるかは今後数年間に採られる政策や措置にかかわってくる。

 20年前には、人口増加は南北の反目のなかで捉えられてきた。今日では、(極東、東南アジア、ラテン・アメリカのほとんどを含む世界の趨勢に反して)アフリカおよび回教諸国で人口が劇的に増大している。これは、政策が世界的でなく、地域的文脈のなかで立案されねばならないことを示唆している。

 2040年までに100億人に急増する人口に、限界以上の負担を地球にかけず、今日の世代と同様のチャンスを与えたいとするならば、農業生産を4倍増とし、エネルギー生産を6倍増、所得を8倍増としなければならない。そのような規模の成長は生態的に持続可能なのだろうか。

 次世紀末までに世界の人口増加を静止状態にするためには、出来る限り早く再生産率を2.1パーセントまでに低下させなければならない。これが2025年までに達成されれば、世界人口は100億人以下で安定しよう。それが、さらにその25年後に達成されるとなると、30億人追加されるだろう。全体的な目標はさまざまな措置により達成されうる。

  • 避妊具へのアクセスと活用(今日では、世界の妊娠可能な夫婦の僅か約4割しか避妊具へのアクセスをもたない。)

  • 少女教育のできれば14才−16才までの延長

  • 婦人の人権、地位、雇用機会の強化

  • 基本的保健サービスの改善

 このようなプログラムの実現には、かなりの追加的資金源が必要となる。2025年までに妊娠可能な夫婦の避妊具へのアクセスを40パーセントから70パーセントに増大させるためには、現在の年間支出30億ドルを100億ドルに増額しなければならない。特に、今日ではきわめて少額である国際援助を増額し結集しなければならない。

 この方向への動きを奨励するために、人口増加の緩和を目的とした上記のような措置を1995年以降一つも採り入れようとしない国に対しては、政府開発援助は供与されるべきではない。

 宗教および政治の指導者達は、こうした措置が堕胎とそれに伴う道徳的問題とは一切関係がないということを認識すべきである。

 貧困は恐ろしく低い水準に留まり、地域的、国際的安全保障にとってきわめて危険な要因となっている。貧困はまた、環境の悪化と天然資源の枯渇を加速した。貧困の緩和は開発途上国に対する援助の大幅な増大を必要としている。豊かな国々はこの点で重い責任を担わねばならない。

2.環境悪化と地球の温暖化

 われわれの地球管理は誤っている。貧困と富裕は等しく環境悪化の原因となっている。豊かな国々は世界の資源をあまりにも多く使い、地球環境システムの吸収能力をはるかに超える大量の廃棄物を出している。多くの開発途上国は、生命を維持するためだけに資源を乱用しすぎている。

 大部分の国では持続不可能な形態の開発を行っており、地球の温暖化、酸性雨、大気汚染やそれらの関連症候を促進している。これは、主として石化燃料と炭化水素といったエネルギー源を使用している結果である。こうした政策は、より持続可能な開発の促進と、経済の生産性、産業の効率および国際的競争力の改善策に逆行する。これを改革する際の社会的、政治的障壁は膨大である。

 気候変化に関する国際政府間審議会(IPCC)は、最近の科学的調査において温室効果をもたらすすべてのガス(石化燃料の燃焼、森林伐採、CFC、メタン等から発生する)今後100年間の放出量の増大をさまざまなシナリオを用いて予測した。温室効果の科学的現実性とそれに伴うリスクおよび潜在機影響力に関しては合意がみられた。世界の気候システムにおける惰性と、国際合意や国家レベルの行動に必要とされる時間の長さを考慮し、ただちに行動を開始しなければならない。もしも、温室効果をもたらすガスの放出を限定する措置が採られず、世界が自己満足と短期的性向で現状の活動を続けるようであれば、世界の平均温度は今後100年の間に2.6度か5.8度高まると予測されている。

 世界人口の7割が海洋から100マイル以内に住んでいる。海の水位は過去100年間に4インチから6インチ上昇した。平均的予測によると、2030年までにさらに8インチ、2100年までに26インチ高くなるされている。海位の上昇は特にハリケーンや嵐と重なると悲惨な結末をもたらす。もしも世界の温暖化がこれ以上進と、37カ国の島国が消滅の危機にさらされる。世界の人口と経済インフラの三分の一を抱えている沿岸地帯では、われわれの子供か孫の代で壊滅的状況に追いやられうる。沿岸地帯の大洪水によって、さらに数百万人という環境難民が特に最貧困国において生みだされるだろう。海位が3フィート高くなれば、中国では7200万人、バングラデッシュでは1100万人、エジプトでは800万人がホームレスとなるだろう。

 1985年に、旧ソ連を含む先進工業国は世界人口の25パーセントを占めていただけであったのに対し、60パーセントの温室効果ガスを放出した。世界人口の75パーセントを占める開発途上国のガス放出量は40パーセント程度であった。

 北側の石化燃料の大量消費は、二酸化炭素放出の地球的限界をほぼ独占してきており、南側は現在、工業化によって放出される二酸化炭素を吸収する地球の能力において一定の権利を要求している。第一の段階として、先進工業国は温室効果を生み出すガスの現実的な放出削減目標値にコミットすべきである。こうした目標値は、開発途上国に対し、今後数十年間石化燃料の消費量を増やしてもなお十分な「環境上の吸収」を与えるはずである。

 地球の温暖化は富める者と貧しい者との対立のみならず、現在と未来との対立をも示唆している。現在の厳しい貧困の水準を改善するために、より多くの努力がなされるべきという認識が富める国にみられないかぎり、いかなる国際的行動も正当性を欠くものとなる。開発途上国のニーズと発展への熱望に対する支援なくして南北間の深刻な対立は避けようもなく再燃するだろう。

 調印国に強制力のある効果的な国際行動のための枠組みをつくる三つの国際条約の推進が不可欠とされている。すなわち、地球の天候、生物の多様性、地球上の森林伐採に関する条約である。

 追加的資金の移転と効率的な国際メカニズムは行動の前提条件である。これは、温室効果をもたらすガスの放出源であるエネルギーへの依存を軽減しようとする開発途上国の努力を支援することを目的としている。その努力とは、主として森林伐採を抑制し、環境に優しい技術の移転を支援し、再生可能な非石化エネルギーを導入し、遺伝子学的に二酸化炭素を減らす植林地を設計することなどである。先進工業国による追加的拠出金の一部は新たな歳入源を確保することで調達が可能となる。これは、生産者、消費者双方に対する石油1バレルにつき少額の徴収、環境破壊をもたらす物資の国際貿易に課す税金、世界的に共通するものの使用料、郵便料金の増額等の形態をとりうる。

 農業生産への補助金は生態系の資産である土壌、水、木材の浪費を奨励してしまう。OECD諸国だけでも補助金は年間3000億ドルに達し、ほとんどすべての国で無駄な森林伐採につながるインセンティブと化してしまっている。こうした補助金は廃止されるべきであり、環境破壊を阻止し世界的に森林を増大させる政策が採択されるべきである。

 科学的に立証されたオゾンの枯渇は、CFCの世界的生産を1995年までに中止すべく各国政府が合意することを不可欠としている。

3.持続可能なエネルギー政策の選択

 必要とされる投資がなされれば、現在ではエネルギーの供給不足という長期的リスクは存在しない。世界の石油埋蔵量の3分の2は湾岸地域にあり、残りが他の地域にある。しかし、世界の総石油生産の中で湾岸地域が占める割合はわずか28パーセントであり、その他の地域が72パーセントである。従って、他の地域では急速に石油の埋蔵を枯渇させ、埋蔵量の大部分は湾岸地域に占められることとなる。

 過去5年間で湾岸地域における石油埋蔵量は50パーセント増大したものの(世界的には92パーセントの増大)、生産量においてはわずか6パーセントにすぎなかった。湾岸地域における埋蔵量増大の可能性は膨大である。言い換えれば、湾岸地域の石油に対する世界の依存度はますます高まるということである。米国は2000年まで、毎日500万から700万バレルを湾岸地域から輸入するだろう。欧州では消費の純増はなくても一日160万バレルを湾岸から輸入しており、今日の石油輸入の68パーセントを湾岸に依存している日本も、たとえ消費水準が高まらなくてもその割合はふえるだろう。

 価格の変動は異なる需給関係を反映して、今後も価格は疑いなく変動しよう。しかし、ひとたび一日数百万バレルの輸出が抑制されるとなれば、世界は深刻な問題、いや惨事にすら直面するだろう。これによって価格は劇的に押し上げられ、世界経済に壊滅的打撃を与えることになろう。従って、生産国と消費国の緊密な協力が不可欠である。

 旧ソ連の石油産業における資金、経営陣、施設の維持能力の不足は、特殊な長期的リスクを伴う。すべての東欧諸国は旧ソ連からの石油およびガスの供給にあまりにも依存しすぎてきた。彼らの供給源を多様化したいという願望は奨励されるべきである。

 石炭に関しては、とりわけ欧州と日本で多額の補助金がつけられている。しかし、たとえすべての国が石炭に対する補助金を即座に廃止したとしても、発電のための石炭利用を完全にやめるわけにはいかない。一般的に、ほとんどの政府が石化産業を補助している。例えば、米国では年間約400億ドル、カナダでは約40億ドルの補助金をつけている。

 原子力発電は、供給の多様性を強めた結果エネルギー部門に柔軟性をもたらした。これによって、1970年代、80年代の石油危機による影響が緩和された。さらに、原子力エネルギーは二酸化炭素の放出もなく、その観点からみても環境にやさしいといえよう。

 原子力のより広範な利用において最も障害となるのは、安全性と廃棄処理の問題である。チェルノブイリに象徴されるように、東欧のお粗末な安全基準は悪夢のようなシナリオを拡散した。西側諸国は、既存の原子力発電所とその運営、そしていつかは行わなければならない解体作業の安全性を強化するためにも、緊急に助言を与え支援すべきである。核兵器の解体に要すると推定されるコストに換算しても、原子力解体の費用は莫大なものとなろう。

 原子力廃棄物処理に伴う大きな問題は未解決のままである。いまだに技術的に納得しうる放射物質の最終的かつ安全な貯蔵方法を考案した国はない。

 2000年までに二酸化炭素の放出量を安定させ、2005年までには放出を20パーセント削減させるためには、どような可能性があるのだろうか。エネルギー政策は一夜にして変られるものではないが、ある程度の修正は可能である。例えば、石化燃料の価格を上げることによりその消費を抑えること、エネルギー効率の高い措置を奨励すること、代替エネルギーの探索を促進すること等である。そのためには、ECのみならずすべての国は石化燃料の使用に対する課税を導入し、各国間の税制の矛盾を除去すべきである。このような炭素税からの歳入は、技術的にも経済的にも可能な非汚染エネルギーエネルギー源を確定し生産するする、アポロ計画のような国際的に大がかりな計画に着手するために使われるべきである。しかし、政治家は若干の増税で二酸化炭素の問題が一夜にして解決されるという印象を与えてはならない。

 現在、二酸化炭素を削減する技術はない。しかし、エネルギーをより効率的に活用する技術は豊富にある。価格はこのような技術や効率的措置をもたらす重要な要因ではあるが、唯一の要因ではない。エネルギー効率の可能性の策定と実現化を混乱させないためにもより慎重な行動が要求される。技術開発の促進、効率的な技術の商業化、また経済的競争力の改善を目的とした研究開発に力を注ぐべきである。このような新しい技術は可能な限り大規模に適用されるべきである。

 21世紀の遠い未来までに世界が石炭、石油、ガスを利用せずに生活していけると確信するのは幻想であろうが、再生可能な新しいエネルギー源、とりわけ風、太陽熱、生物体をより多く活用せんとする決断が必要である。こうした努力をしなければ、2000年になっても再生可能なエネルギー源からの供給はエネルギー全体のわずか7パーセントにすぎず、そのうちの90パーセントが水力によるものとなろう。再生可能なエネルギー源を開発するために、すべての国が国内的にも国際的にも資金をつけ、さらなる努力を重ねていくべきである。

 核融合は、エネルギーの需要と環境への配慮という観点からも満足しうる将来性をもっている。しかし、このような大規模な高度技術の研究プロジェクトに単独で資金をつけ、運営できる国はない。このように世界経済全体に恩恵を与える巨大プロジェクトを実現化し、直ちに商業化するためには国際社会全体の貢献が必要とされる。

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