. 1994 The Future Role of the Global Multilateral Organisations in Japanese Part 2 |
「国際機関の将来の役割」 1994年5月7ー8日 |
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33.軍備管理、とりわけ大量破壊兵器拡散の抑制および武器貿易には、多国間交渉の場において優先的な関心が払われるべきである。現在のところ全部ではないとしても、ほとんどの軍事安全保障問題(核不拡散条約/NPT、戦略兵器制限交渉/SALTおよび戦略兵器削減交渉/STARTを含む)を主題とする会議や条約は、国連の外で発想され交渉されてきた。その結果として国連は、これら諸条約への違反行為に対処できないばかりか、特定の条約に加盟していない国家に権限に基づいて介入することもできないでいる。複雑をきわめる世界の軍備管理および軍縮関係の条約や協定をより透明にし、対処しうる手段を緊急に講じるべきである。望むらくはこれを単一の組織、すなわち国連の権限の下に置くべきである。核兵器、ハードウエアー、技術の漏出および拡散防止への努力もまた、加速されなければならない。同様に、化学・生物兵器および弾道ミサイルも、これ以上の拡散を回避するために、厳しい多国間管理の下に置くべきである。 34.核不拡散条約(NPT)の遵守を普遍化し、より大きな権限を国際原子力機関(IAEA)に付与すべきである。NPTは1995年に見直しされるが、期間を大幅に延長するメリットは大きい。その際には、IAEAにも調印国の領域にある全ての核施設に対する強力な査察権限を与えるべきである。 35.しかし、核兵器保有宣言5カ国は、核兵器削減を求めるNPTの責務を厳粛に受け止めていること、つまり端的に言って、NPTは不平等の成文化を目的とした条約ではないということを証拠で明らかに示さなければならない。あらゆる核兵器全廃という合意をめざす多国間交渉が開始されるべきである。 36.武器貿易は国際社会にとって、とりわけ大きな損失をもたらし安定を脅かす問題である。これは野放しのままであり、政府もしくは国際レベルでの効果的な管理も及んでいない。今では廃止されたココム(COCOM)を再構築し、大量破壊兵器、弾道ミサイルおよび武器貿易の効果的な輸出管理システム(供給国および購入国双方にグローバルな基準、規則、制限を設けることも含め)に転換させるべきである。ここで集められた情報は、国連に設置された自発的武器登録制度に各国政府が提供したデータと照合され統合されるべきである。武器販売に関する情報の公開は、武器販売の動向を明確にする第一歩となろう。開発途上国との武器貿易は大幅に削減され抑制されるべきである。そのためには、国際機関および二国間援助の拠出国は、軍事支出がGNPの2パーセントを超える諸国にはもはや開発援助や資金を受領する資格がないとする条件を課すべきである。
37.中央計画経済の崩壊と世界的な市場経済への移行および資本移動の自由化は、真の地球経済をもたらした。そこには世界経済の将来の方向性に関する幅広い合意があるかに見える。世界全体が管理−計画経済から離脱するなかで、世界経済が集団的指導体制のもとに入るという考え方は、反立的である。それでもなお、市場経済、非差別、自由貿易と決済、最善の競争原則に従って規定されたルールを基盤とする多国間枠組みを支える多国間主義制度への展望は残されている。市場経済は宙に浮いているものではなく、法令の遵守と解放的なシステムが国際的に確立されてはじめて有益な結果をもたらすことになろう。「競技規則」が尊重されるように監視し、それによって各国の国内経済の相互依存を管理する多国間システムの守護者の役割を果たす独立した事務局を持つ国際組織が、すでに条約によって制度化されている。 38.国内レベルでは、市場経済を運営する的確な制度上の枠組みと環境を整備する責任が各国政府にある。東アジアおよびラテンアメリカ諸国は、わずか数年前には全く不可能と思われていた枠組みの中で、いかに経済を動かし大幅な成長を遂げることができるか如実に示してきた。 39.冷戦の消滅はまた、経済の世界でもはっきり実感された。西側諸国が協力体制を推進した主な理由のひとつに挙げられるのが、共通の敵の存在であった。もはやそれもなくなり、経済と貿易の分野における国益追求が利己的な度合いを強める経過とも重なって、協力の慣習は衰退していく。これが新しいタイプの紛争のきざしである。その結果、経済も多国間システムの制度もともに弱体化している。経済面では、特に大国で顕著さを増している二国間主義、地域主義、地域間貿易ブロック化に片寄っているようだ。こうした国々は、より限定的な枠組みの中で問題を処理するよう求め、ルールを基盤とするグローバルな協力体制の規律から逃避し、世界全体としての対外貿易新興効果を無視して、結果として多国間非差別の原則に逆行することになっている。 40.地域貿易ブロックがもたらしうるプラスの効果にもかかわらず、各国は多国間組織から離脱している。保護主義の圧力は世界のさまざまな地域で強まっている。指導者の立場としての、あるいは強力な支援的役割としての米国の関与なくして国際的な経済の協力体制を構築する可能性はかつてなかった。従って、この問題は保護主義的感情が高まっている米国の態度に大きくかかっている。欧州連合が関税もしくは準関税障壁でその境界線を保護しようと懸命なことも問題である。さらに日本は、常に保護主義的傾向が強く、特に農業の分野において顕著である。 41.いくつかの地域ブロックの出現は拡大する危険がある。ウルグアイラウンドが締結されたにもかかわらず、世界の自由貿易システムは深刻な脅威のもとにあり、今こそ国際機関は過去数十年間の協力体制の慣習を再活性化させ、育成する努力を倍加しなければならない。 42.近年の国際経済のめざましい成長は、多国間システムが開発され実践されたことに大きく起因する。経済の分野における指導的な機関として、国際金融基金(IMF)、世界銀行、国際金融公社(IFC)、新しい組織の世界貿易機関(WTO)に取って替わられる関税と貿易に関する一般協定(GATT)、G7が挙げられる。ただしG7は、経済の方向性を大きく見失っているG7諸国の主要先進国首脳会議サミットとG7大蔵大臣サミット(中央銀行総裁を含む)という二つの異なるグループを意味し、まことに混乱している。 43.金融政策の協調という観点からみると、まずG4を創設し次にG5その後G7に発展させていった経過は、国際マクロ経済政策の協調過程における制度化過多に対する幻滅の反映であった。ヘルムート・シュミット氏およびヴァレリー・ジスカール・デスタン氏はともに創設時のグループのメンバーであったが、当初はこれもきわめて有益であったとしている。両氏は、それぞれが自国の指導者となったころ、国家もしくは政府レベルの指導者で同様の組織を作ることを決めた。これがG7サミット誕生の由来である。今日、サミット会議は意味のない慣例的な広報活動に成り下がり、有効な決定を何も下さず、経済調整もまったく達成していない。無意味な政治宣言を採択するなど、政治的な意味あいを強めるばかりで、雇用や環境など昨今の優先課題をよそに、経済協力を推進させようという姿勢がない。しかし、指導者たちが実務的な立場で相互に理解を深め合うといった観点からみると、サミットにも他の集まり方よりは多少の価値はあろう。本当に重要なのは、その準備段階で、各国の官僚が国際協力に関する諸問題を共同で対処しようという事実である。なかば制度化してしまったG7サミットは、ごく限られた世界の主要指導者による個人的かつ内密な意見交換の場とする当初の発想に戻すべきである。米国大統領が定期的に他の指導者たちの見識を身をもって知ることができるのは、こういう仕組みを通じてのみなのである。 44.大蔵大臣および中央銀行総裁レベルのG7は、常任機関の支援がなくても財政および金融政策の調整に関与する権限を、金融当局に与えている。諮問・非公式レベルにおいて、これは相互の立場を理解し合い、可能な短期的相互譲歩を特定し、可能な長期的政策の選択肢をまとめあげるなどして、閣僚クラスの会議に先行する有効なメカニズムの役割を果たしている。 45.G7閣僚級会議の前になると、例えばECや他の非公式なグループの中ではあらゆる協議や協力が一斉に動きだす。国際的政策協調に関するその他のフォーラムの役割とG7との有効な相補性もある。例えば、G7大蔵大臣次官および中央銀行副総裁の多くが、OECD事務局の政策分析や勧告を基盤とする主要先進工業諸国の小規模グループにおいて、金融、財政、為替レート政策の調整について議論するため、年4回会議が開催されるOECD経済政策委員会の第3作業部会に参与している。G7はまた、先進および開発途上諸国が構成するIMFおよびその暫定委員会の意志決定において重要な役割を果たしている。 46.G7活動の記録はマクロ経済の枠組みを安定させる措置と比較すると、国際収支の調整にあまりにも重点を置きすぎている。G7のやり方は、1987年10月の株式市場の崩壊後が示すように、あまりにも過剰に、時には政府の介入を許してしまっている。G7の合法性、実績、信用性はますます疑問視されている。西側世界の人口比率、富、貿易は衰退しているのに、新経済大国は世界の主要経済意志決定クラブに参与する機会を与えられていない。これらの国々の経済的、政治的重要性に鑑み、G7の枠組みにロシアと中国を組み込むことを真剣に考えるべきである。しかしながら、拡大による危険もあり、そのひとつに挙げられるのが、ある主要諸国が公式に関与しても本当に重要な問題は二国間もしくは新たに他の厳しく制限されたグループに取って替わられてしまうかも知れないということである。 47.今日の挑戦は、G7と国際経済機関との間にどのような有意義かつ満足のいく連携が確立されうるかである。小規模なグループは、効率のためには有用かもしれないが、ルールに基づいたシステムを育成するためにはさして有用ではない。最低限でもG7(蔵相会議およびサミット)会議は、主要な国際金融機関の長をオブザーバーとして招くべきである。 48.ウルグアイ・ラウンドの合意がいかに不完全であろうとも、関税の平均30パーセント以上の引き下げはかなりの前進といえる。ただし、アンチ・ダンピングや相殺関税への対処は不十分である。新しい世界貿易機構(WTO)には明らかに欠点があるが、その最上のメリットは、迅速な手続きと拘束力のある解決方策をもたらすなど、完全に修正された紛争解決手段システムにある。これを主権の侵害であると解釈する向きもあろうが、これを拒否することは世界を1947年以前に戻してしまうということである。挑戦として重要なことは、WTOを成功裡に発足させ、保護主義と一方的政策姿勢と闘いうる効果的なメカニズムに育てることである。 49.1947年に国際貿易機構(ITO)が設立されなかったので、その真空を埋めるために国連貿易開発会議(UNCTAD)が創設された。WTOは、ITOに当初意図されたものとなろうとし、UNCTADにとってもはや重要な役割はない。 50.グローバルな金融市場の発展は、かつてIMFと世界銀行が行ってきた業務を民営化した。これは、国際収支の補填においても、国際市場から資金調達が可能な国による開発資金調達においてもいえることである。このことは、ブレトンウッズ機関の役割を減少させた。とりわけ、環境分野におけるこれら機関の実績に対する批判の高まりに鑑み、両者の使命は調整されるべきである。 51.OECDはこれまで、メンバー諸国のマクロ経済および他の政策対話のほか、分析、研究などに対し伝統的に貢献してきた。しかし非メンバー諸国との経済対話も、ここ数年間その重要性を一層増している。構造と配分の問題、すなわち就業率の低い経済成長といった問題は、国内外政策論争の中心であることから、グローバルな構造問題に対する分析能力および知識を有すOECDは、その卓越した力を発揮するよう求められている。OECDはまた、マクロ経済と構造政策との相互関係および社会政策、教育政策、労働市場政策など異なる構造政策間の相互作用により良く対処する能力を備えている。OECDはGATT(後にはWIO)と協力し、自由貿易システムを保証し、貿易と環境、貿易と投資、貿易と投資、貿易と競争、貿易と労働基準など、既存のまた新たに生じる貿易問題と対処する大きな役割を担っている。 52.先進・開発途上世界双方の小国の一部にみられる不満や疎外感を考慮し、多様な地球的状況と利益を反映するような、同時にあまり負担にならないような集団的意志決定を目的としたグローバルな経済協力の選択肢がいくつか浮上している。その中の提案のひとつに、G5の大蔵大臣・中央銀行総裁および非G5諸国の代表者7人もしくは10人の代表者からなるフォーラムを(ブレトン・ウッズ制度の枠組みの中で)創設することがある。これは15カ国を限度とした母体とする。その他にも国連の中に、12人から15人の大蔵大臣および中央銀行総裁をメンバーとする経済・開発安全保障委員会を設置するという提案もある。現在ブレトン・ウッズの会議にのみ出席している大蔵大臣が国連機関の中に議論の場を持ち、また経済政策の他の側面を担当する閣僚をブレトン・ウッズ制度の作業の中に加えれば、経済政策の立案は有益な方向に向かうのは間違いないだろう。 53.金融市場のグローバル化と地球規模の規制ないし監督当局不在の結果、金融市場の系統的不安定性が、新たに世界経済の安定を広範囲に揺るがしている。投機的な動きはグローバルな金融崩壊の脅威をもたらし、必要とされる信用と資金の流動をも危険にさらしている。金融市場のグローバル化に起因する不安定性は国際レベルで取り組まなければならない。第一に、矛盾する政策がもたらす社会不安を最小限にするため、グローバルにマクロ経済政策を調整する必要がある。しかし、これはいくつかの国々における偶発的状況が引き金となった投機的な資本の流れによる脆弱性を解決することにはならない。 54.多くの国において金融行動の監督は不十分であるが、国際的監督の問題は、金融活動のグローバル化と新規参加者や新商品の増大する役割によってますます複雑になってきた。金融崩壊を阻止するために、市場の金融政策のための慎重なガイドラインの形態で、規定がG7、IMF、国際決済銀行(BIS)ならびにOECDによって採択された。最近、BISの銀行業務監督委員会は市場のリスクと対処するため、新たな資本の規定を設けた。急速にグローバル化する金融市場の国際的単一規制および監督機関の不在の中で、規制や監督に関する取り決めを設定する可能性とそのために必要とされる現実的処置を検討することが急務である。 55.国連も経済社会理事会(ECOSOC)も、また国連の専門機関も経済政策の立案に重要な役割を果たしてこなかったし、今後も果たすことはないだろう。各国政府は協力が豊かに実る機関にのみエネルギーを直接費やしている。本当に問題なのは、国連組織が相互依存が内包する多際性という特性にうまく対処できていないということである。機能的なラインに沿ったシステムの組織化は、部門別の見解(それは転じて国内的な部門ロビー集団を強化する効果を持つが)からのみ国際協力が取り上げられるといった状況をもたらしている。これは逆にグローバルな進歩と協力といった観点で、さまざまな部門別の利益の均衡をはかるべきであった。これは最高レベルで決定され維持される協調活動を必要とするし、また事務総長を議長とし、各機関の長による非定期的会合を持つことでは解決されえない。過去のいらだちのひとつに、さまざまな機関が規範に沿った活動を展開し、異なる政策を打ち出すなど、食い違ったまま運営されていることが挙げられる。主権国家はさまざまな部門別の立場で、グローバルな本質に関わるものの矛盾する決定を取り入れてきた。 56.これに関し、経済社会理事会(ECOSOC)はいかなる有意義な使命をも果たせなくなってきている。国連総会でも議論されない問題はECOSOCのアジェンダにもない。ECOSOCは付加価値のあまりない単に決議案を修正すること以外、何の調整もはかってこなかった。 57.経済の分野で国連は、将来、持続可能な開発、人口をめぐる問題と、各種の統計情報の運用にまず集中していくべきである。統計情報に関し、国連組織内で集められる膨大な量のデータを集中化しコンピューター化する必要がある。しかし、民間の研究所や企業による対立的な報告が討論や政策立案に先行するようであれば、大量の報告書や統計がどのような実質的目的に役立つのかが問われなければならない。 58.協調に対する永遠の疑問は、協調そのものが多国間システムに非効率性をもたらしたということである。協調および活動の一貫性が国連組織にとって望ましいのであれば、経済および社会分野における過度ともいえる国連諸組織に単一の傘を供与することで、企業世界における株式制度に似た協調組織を創設することは、より有効であるかも知れない。これは指導し、指示を与え、管理し、相乗効果をもたらすことを求めるひとつの理事会によって運営されうる。 59.国連組織の包括的な改革に関し、北欧の国連プロジェクトの経験が示すように、細心の注意を払った合意を構築しても明確な結果を生み出すとは限らない。袋小路から脱け出すひとつの方法としては、受諾か拒絶かに限定し、修正や水増しは受け付けないとする包括案を、特定の時間的枠内で創出することを付託された代表者改革委員会の任命がある。この委員会は、多くの機関、いくつかの政府間委員会、大量の資料、報告書、書類などを比例的に削減するなど、確実なパラメーターを基盤に包括案を打ち出していくべきである。
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