. 1994 The Future Role of the Global Multilateral Organisations in Japanese Part 1 |
「国際機関の将来の役割」 1994年5月7ー8日 |
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1.冷戦後、国際社会は新たな秩序への未曽有の調整を体験中である。国家も国民も以前より安全か否かという質問は適切であろう。多極構造の世界へのさまざまな望みは実現していない。国際機関にしても、より重い責任を担う能力もその用意もない。国際機関の能力と権限に寄せられた期待も、特に不十分かつ不安定な財政状態の下で消え失せている。危機に陥ったロシアが新たなアイデンティティーを模索する中で、ひとり米国だけが広範な世界的責任を担い続けている。しかし、混乱する政治的枠組みを背景としながらも、経済面の方向性はこれまでの長い年月よりも明瞭となってきた。いかなる形態、あるいはそのミックスであろうと、市場経済が現実的に前進できる唯一の経済システムであるという国際的な合意がこれを反映している。 2.従来は不可能だった方策で、より強力な国際機関に統合された国際システムに進む機会は明らかに存在する。しかし、国際社会の全体的方向性が不確実な時、国際機関の将来の役割はどのようなものであろうか。旧ユーゴースラビア、ソマリア、ルワンダなどでは、強国が特定の紛争や問題に関心を抱かない限り、国際機関がそうした問題に対して効果的に行動できるチャンスはほぼ存在しないことが明らかになってきた。強引な多国間主義から、より穏和な現実的アプローチ(より選択的でより効力のあるもの)への最近の米国政府による政策変更は、国際機関に参加し協力するという意志に対する他の国々の政府(先進国、開発途上国を問わず)の態度と期待が冷却していることをまさに反映している。開発途上国は、有名無実な南北対話に対する不満から選択肢を検討し直しつつある。さらに、経済開発を刺激する民営化に見られる実績(国際機関はせいぜい付随的にしか関予しなかったが)によって、これらの国々では、地域機関やその他の機関のもの以外の国連システムだけでも20以上の機関に加盟していることからくる財政負担を点検し始めた。財政的義務と国際システムからの具体的な受益内容との格差に対する不満は世界中に広がっている。 3.近年、国際機関の活動における優先順位をめぐる加盟国間の意見対立の深まりがはっきりしてきた。多くの国が、平和維持と平和創出のための行動に多くの資金と注目を払いたがる一方で、他の国々、とりわけ開発途上国は、経済開発計画をより一層重視したいのだ。加えて、政府というものは、一層強力で効果的な多国間手段の選択を表明はしても、自国の主権の一部を放棄する意志はなく、国家に匹敵するような権力を備えた機関の創設も望んではいない。多くの場合、各主権国家は自らが多国間機関の場で採択した決定でさえ実行できないでいる。
4.国際機関に対して各国政府が抱く長年にわたるしかも強まるばかりの不満は、将来に向かっての良いきざしではない。世界のほとんどの国家の主権に関する態度に明瞭な変化が見られないばかりか、逆に全ての大陸で、民族ないし国家利益の固執が高まりつつある。共通の敵またはイデオロギー上の敵対国が消滅した今日、野放図な国益意識が国家行動の主要な駆動力となってきている。
5.さらに困ったことに、国家ないし社会間諸グループは、それぞれの野心的な願望をより強く表明するようになっている。それが国家の権威を傷つけ、領域内で起きた事態に対する政府の規制力を弱め、しばしば内部的紛争と緊張をもたらす分裂状態に発展していくのである。
6.根幹の課題は、明らかに各国政府が目的に即した機関を選ぶなどして、国際機関うまく活用する用意が本当にあるか否かにかかっている。国際協力を求める各国政府の意志と慣行の衰退は不吉なきざしであり、協力方式の弱点の部分である。より有意義かつ効果的な意志決定の機構やその他の組織的奨励策を採用することで、多国間による解決策に対する各国のコミットメントを確立し直す機会をもたらすかもしれない。こうした総じて懐疑的な態度にもかかわらず、各国政府は長期的意味合いを持つ多くの地球規模の重大問題は決して解決しえないという事実を認ざるをえない。これら諸問題は、地球規模の協力に務めることによってはじめて解決されうるのだ。
7.冷戦の条件に大きく左右されてきたほとんどの国際機関は、特定の目的のもとに創設された。今日見られる多国間システムは、政府間構造と各機関の集合体であり、国連とそのシステム、世界銀行と国際通貨基金(IMF)を含む金融機関、地域機関、その他の国際的組織によって構成されている。いくつかの国際機関の加盟国は世界全体を網羅してはいないが、その関心、範囲、行動の広がりはグローバルといえよう。
8.国際協力は、制度面では組織が氾濫しているかに見え、各国政府が創造的姿勢で対応することを不可能にしている。これは単に重複や効率性や腐敗といった問題ではない。グローバルなシステムにおいて氾濫する組織は、国際協力に関与している指導者達が真に重要な問題に注目し、行動のために最適な組織の選択ができるように合理化されねばならない。今後はいかなることがあろうと、既存の組織を廃止せずに新しい組織を創設してはならない。問題の本質によってはこの改革プロセスが組織を増大させてしまいかねない。
9.国連本体と世界銀行・IMFを含む国連システムの専門機関は、今日の多国間機関構成の中核をなしている。その主たる欠点のひとつは、これらの機関が共通の指針、監督または本部が示す方向性のもとのシステムとして十分に運営されていないことだ。そういう状態になってしまった理由は、システムの多極的性格にある。そしてこのこと自体、場合によっては50年以上にもおよぶ機能・技術両面での組織の能力が分散化した結果である。従って、ある程度独立した過剰ともいえる機関が、ほとんど無調整のまま経済・社会政策や計画を推進している。調整の仕組みは多岐にわたるが、総じて効果をもたらさず、国連システムの諸活動は一貫性を欠いている。われわれが直面する国際問題は、多くの部門や組織にまたがるものなのに、多くの場合単独かつ個別に対応されており、権限と資金をめぐって激しい争いが繰り広げられている。無視され、実行されない決議の増加が、多くの組織の権威、効果、影響力を損なってきた。国家を越えた権限のないこれらの機関は、決定を実行することができないのだ。いくつかの機関を統合するという主張もなされよう。非政府機関と多国籍企業もまた、政策決定や計画策定および資金拠出に組織だった形で関与すべきである。
10.国連の使命は、国際協力を育成し、新たな戦争を阻止し、経済の開発と健全性を促進することにある。平和と安全保障は、連合国による有効的な少規模グループによって維持されるはずであった。しかし冷戦中は、国連、なかんづく安全保障理事会は、設立当初に想定されたように機能することができず、その潜在能力は冷戦後になってから認識され始めた。ソ連と米国が当面するほとんどの問題におおむね合意したとことで、国連では異例なほど良好な状況が続き、誤った印象を与えてしまった。国連事務総長による「平和へのアジェンダ」の提案は、平和維持、平和創出、平和構築に関する新たな方向性を示唆するものかもしれない。経済の分野では、国連が指導的役割を果たしたことはかつて一度もなく、結果として、経済社会理事会(ECOSOC)は形骸化してしまったが、これは冷戦の窮境の結果ではなかった。
11.国際機関、とりわけ国連の現状や実績は、全般的に国際社会の政治的・心理的ムードや相互関係の直接的な反映であった。総体的にいえば、国連はほとんどの加盟国のニーズに応えないという、まずありえない離れ業をやってのけてきた。その理由の一部は、今とは異なった時期に多少異なった目的のために創設されたこの機関が、変貌してしまった状況と環境のなかで現在世界に奉仕していることにある。各国政府も政治家も、国連の中心的役割に関しては美辞麗句は惜しまないが、増大を続ける問題に対する政策決定や多国間行動は国連以外の場に移ってしまっている。国連、とりわけ国連総会は、最低限重要な機能のひとつを回復させるべきである。すなわちそれは、全ての見解は十分に主張されるが、非政府機関の本来の範囲を超える問題に対する合意に務めることはしないといった討議の場としての役割である。
12.国連が冷戦中に超大国間の対立のために無力とされたとするならば、現在の国連は、弱体に過ぎる行政と財務基盤に比してあまりにも膨大な課題に圧倒され、重すぎる負担を負わされているようだ。東西紛争の終息、戦略的国家および超大国としてのソ連邦の死、競合関係にある新しい政治的単位の台頭、地球の存続そのものを損ないかねない深刻な地球規模の諸問題の拡散が新たな挑戦を伴って、一極世界に新しい性格の紛争をもたらしている。長期にわたって冷戦の陰にかくれ、1980年代半ばには想像すらできなかったことが、今日では人類への脅威としてますます理解されてきた。すなわち、環境悪化、生体圏の枯渇、気候の変化、温室ガスの放出、人口爆発と人口の越境移動、失業の拡大、はびこる貧困、エイズ、麻薬取引、開発努力を損なう国際的汚職、民族および地域紛争、憤然たる人権無視、核兵器および大量殺りく兵器の拡散、テロリズム、不安定化につながる金融市場の国際化などである。国際社会は、地球人類に向けられたこれらの挑戦や脅威に対処する新たなビジョンと1990年代以降に適応する制度的メカニズムを模索している。明らかに国連は、それらの全てに対処することはできないし、またすべきでもない。一般的な指針として、国際協力のために取り上げられる課題は、本質的にも内容的にも地球規模できわめて重要であり、緊急かつ長期的で、中立性が要求されるものを選ぶべきである。いかなる行動においても適切な順序立てが重要である。すなわち行動方針の決定、最適の機関ないしメカニズムの選択、決定実施のための資金源の確保、政治的決定の実施といった順序である。
13.世界が多極制度に移行しつつあるとはいえ、一般的な考え方は依然としかなり国家中心的である。しかし事態の経過はもはや各国政府だけで決定されるものではなく、他にも多くの重要な担い手、特に非政府組織(NGO)や多国籍組織がある。今日世界中には約18,000のNGOが存在し、その他にも民族、人種、宗教、職業別に数え切れないほどのグループが活動しており、人類の懸念事項が関わるあらゆる分野の事柄についての専門的ノウハウと能力を持っている。北側のNGOから南側のNGOへの資金援助だけでも、今日約90億ドルにのぼる。政府開発援助(ODA)は長年にわたり実質では減少してきたが、NGOの資金の流れはここ数年間5から8パーセントと実質拡大してきた。投資の分野では、民間部門と多国籍企業は投資分野が主流をなし、相当の金融的・政治的影響力を行使するようになっている。
14.多国間システムはこの非政府部門の担い手たちの巨大な潜在能力を統合し、これと協調して、建設的に活用する方途を模索すべきである。リオ・サミットや、世界人権会議を含む近年の国連諸会議では、この部門の創造的かつ積極的参加がもたらす恩恵というプラス面が実証された。
15.多国間機関は各国レベルと同様に、対立案件の合意形成や、手続きの促進、さらには決定実施などを助ける力量を備えた、いわゆるブルー・リボン委員会をもっと頻繁に活用すべきである。
16.同様に、立法府が現存する政府間構造を補完する可能性も真剣に探求されるべきである。これによって諸機関の政治的合法性が高められ、諸機関と各国政府間の責任関係が強化されると考えられるからである。
17.多国籍システム、特に国連は、平和と安全保障の問題が開発問題から機械的に分離されないよう、包括的なアプローチを指向すべきである。同時に、安全保障の新たな概念があらゆる問題と取り組むことで、見分けがつかないほど水増しされるようなことになってはならない。その過程の中では、国家と世界の利害関係の再定義や通常受け入れられている多国籍構造、メカニズム、活動原則などの定義を確立すべきである。究極的には、各国はその主権の一部を多国間機関に委譲せざるを得なくなろう。しかしわれわれは、主権の委譲と国家間の自発的協力の深化もまた紛争の種となりかねないことを受け入れるだけ、現実的でなければならない。多くの新興諸国は、国際的に要請される諸条件をひとしお狭義に解釈するかもしれない。対決と緊張は、利害の食い違いや対立、イデオロギーや宗教の衝突などから醸し出されることがある。
18.世界的な相互依存の時代における地球規模の多国間活動は、主に次の3つの分野にわけることができる。
19.集団的軍事防衛は、もはや国家政策の決定的な優先事項ではない。軍事的条件では、定量化の困難なその他のリスクや不安定要因が出現し、それらが安全保障の再定義を強いた。たやすく認識できても定義が難かしい安定性とは、軍事的次元だけに依拠しているものではない。今のところ米国が単極の世界を支配しているが、同国は世界へのコミットメントを軽減しようとしている。しかし、地球規模の安全保障と安定は、米国の強力な参加なくしては達成できず、米国がその役割を継続的に果たすよう説得するためのあらゆる努力がなされねばならない。
20.集団安全保障システムは、事態展開の継続的監視、紛争の事前阻止・収拾抑制、対立の仲裁、弱小国保護の確証、侵略に対する歴然たる対応などができる方法で構築されねばならない。これは平和維持、平和創出、平和構築、紛争解決、紛争管理のためのメカニズムを必要とする。これも安保理では、特定の決議が実施されないという形で、その他活動の有効性が限界に突き当たってしまった。すなわち安保理には独自の実施と強制の方途がないからである。その代わり、安保理は主要加盟国と他の国際機関の善意と協力に依存せざるをえなかった。この権威と権力の間の矛盾は解消されねばならないが、加盟国が完全な強制力とそれに伴う方途を安保理に付与する意志があるかどうかは疑問である。
21.紛争と危機をめぐって国連に向けられ増大する要求と多様化する任務(例:マケドニアにおける視察軍の紛争阻止を目的とした配備)は、従来から各国政府が提供してきた軍隊の一層の増員を必要としている。たとえその活動が国連の式監督下にあっても、現実には軍隊を派遣している政府の参画なくして重要な決定は何ひとつ下せない。国連憲章第43条および第45条は、安保理が国際常備軍または警察部隊を召集して早急に展開し、断固とした介入によって暴力と人間社会の破壊という悪循環を断ち切ることができるように規定している。これを活用する可能性についての初期的討議は開始されたものの、これへの加盟については早くも多くの政府の保留やためらいが明らかになっている。
22.ソマリアにおける厳粛な経験は、将来の作戦活動に多くの教訓を含んでいる。第一段階では、米国の対ソマリア作戦は純然たる人道的活動以外のものではなかった。それは自国とは直接的利害関係のない遠い大陸に派兵する用意のある同国が、唯一の世界大国として、また広範な指導的存在として、負う義務のみに基づいて行ったものであった。これは広範に賞賛されたし、未曽有の寛容な行為であった。しかし、ソマリアの悲劇の根底にある諸原因に取り組む努力が始まると、与えられた権限と事後の命令との間が混乱し不明瞭になってしまい、作戦活動自体がもたつきはじめた。こうして活動は途中で正確の異なる任務に変わってしまった。いかなる軍事活動といえども目的と付与権限とが事前に明確にされていなければならない。本当のジレンマは、紛争地域における安定回復のために軍事力が行使される時に表面化する。自国の領土外や同盟の域外での軍事力行使にいかなる正当性を付与しうるのか。軍事力の行使が人道的プログラムのような他の活動目的と衝突することはないか。平和の構築および戦災を受けた社会の復興に関して、人道的援助、経済開発、資金援助、難民の定着といった広範な問題の調整が要請されている場合も、同様の質問がついて回るだろう。
23.一般的にいって多くの政府は、周辺的な関心しかないと思われている地域で多くの同胞が生命を落とすようなことを、国民は容認しないと考えている。各国政府が自国の軍人を危険な立場に置いてまで、多くの国の気まぐれな政治プロセスを収拾しようとは考えていない以上、国連管轄下での小規模な志願制常備軍の創設は説得力のある提案である。このような志願制常備軍は、紛争の事前措置や人道的悲劇を排除する素早い対応能力を事務総長と安保理に付与しよう(例:ルワンダ)。もちろん、これには資金、兵士募集、指揮命令系といった問題が満足のいく形で解決されなければならないという前提条件がある。もしこれが創設されれば、地域的および亜地域的平和維持軍による連携や支援を受けることも考えられよう。
24.世界的に民族間の抗争とイデオロギー間の闘争が続いている。宗教紛争を装ったイデオロギー抗争が再び台頭してきたことは将来の緊張の主たる源となろう。効果的な掌握力を国境内で失うような状況のもとでは、一連の条件によって、主権国家の国境不可侵性が排除され、国際社会による介入が正当化されることもあろう(インターアクション・カウンシル専門家会議「アフリカを国際社会システムの主流に戻そう」=1993年、ケープタウン=の結論および勧告についてのキャラハン卿の報告に盛られた国連提案を掲載した付属文書Iを参照のこと)。安保理の第688号決議は、人道的難局を結果的にもたらすような政府による自国民の抑圧を、国際平和と安全保障への脅威と断定することによって、介入を一般的に正当とする根拠を与えている。しかしソマリアでの経験は、政治的に破綻し内乱状態にある国へのこのような介入はきわめて複雑であり、またリスクに満ちていることを示唆している。この教訓は、各国政府の間に広がるルワンダ関与への躊躇という形ですでに反映されている。
25.現在のところ国連は、政府が自ら処理しきれない安全保障の分野における緊急事態への対応という役割を要請されている。従って、中・長期の政策立案は有用であるかもしれないが、しばしば不意打ちを食わされることから、これが見当違いな予想を生み出すことも考えられる。諸問題に対応するには、事前抑止的手法がもっとも経済的でもあり効果的でもあるが、これは個々の政府だけが入手でき、事務総長にはほとんど伝わらない諜報情報に頼ることが多い。そのためこうした措置が発動されるのはごく希であり、紛争の発生寸前に実施されてもその効果は疑わしい。各国政府は、望むところとはいえない介入につながりかねない一連の事件を引き起こす可能性もある早期警告メカニズムの設置には慎重である。何が起こるかについての十分な警告があったのに、事前抑止行動を取るにふさわしい準備が伴わなかった例として、ユーゴスラビアの危機が挙げられる。しかし、実際に紛争が起きれば重大な行動に出るという意志が真に伝わり、はじめて事前抑止行動は信頼されるものになる。
26.広義の安全保障の概念(例えば新たな地球規模の挑戦)では、多国間の政策立案にかなりの意味がある。それは国連システムの諸機関が集める膨大な量の情報と各組織の記録を引き出して、ほとんど知られていないこの豊かな世界規模の資料へのより広範なアクセスをもたらすだろう。
27.国連憲章52条に即して、平和維持と紛争解決が求められる事態への地域機関の役割と関与の強化がますます主張されている。平和維持に関連する責任を地域機関に任せようとする最近の安保理の動きは、国際システムの地域分割化を指向する全般的な風潮の反映である。抽象性、複雑さ、グローバリズムの重荷、一方的アプローチの欠陥などの均衡を保とうとする動機に押されて、地域主義の提唱者たちは余裕をもたらし、合理的な意志決定を許し、従ってよりよい反応が期待しうる隣国間同士の利点を指摘する。地球規模でのこうした意志決定に対する地方分権の原則適用は、当面する任務と照合して考慮されるべきである。地方分権の概念は、可能な限り問題点に近く決定は下されるべきだとしているが、だからといって国際的決定が低レベルで下されるべきだと解釈されてはならない。それは、この概念とグローバルなリーダーシップが必要であるという考えに逆行することになるからである。むしろ、関連する利害全てを考慮し、最大の国際的効果が期待しうるレベルで決定はなされるべきなのである。従って、地域機関と国際機関との間の適切な役割分担はその都度決められるべきである。しかし、たとえ地域機関に特定の任務を与えたとしても、国際的正当性を得るためには安保理の承認を求めるべきである。
28.しかし地域機関がより広範に関与したからといって、グローバルなシステムがより効果的になるものではない。逆説的だが、こうした機関は実績と意志決定能力において国連よりもしばしば弱く、財政基盤は一層脆弱である。従って、地域機関の実際的な効用性と能力に対して懐疑的な向きも多かろう。とはいえ、危機状況下での地域機関への依存度を増したいという考え方が広くあるのならば、こうした新たな使命を担えるように当該地域機関を強化する緊急措置を各国がとることが肝要である。
29.ヨーロッパでは北大西洋条約機構(NATO:最近の「平和への協力協定」も」含む)、欧州連合(EU)、西欧州連合(WEU)、欧州安全保障協力会議(CSCE)など、十分に確立した構造が存在している。しかし、ヨーロッパは自らの安全保障の挑戦に、効果的に対処できないかのようだ。これらの組織における加盟国拡大が団結と能率を犠牲にしているというのが、一般的な見方である。アフリカではアフリカ同盟会議(OAU)が充実してきてはいるものの、外部からの援助なくして大規模な平和維持活動を展開させることはできない。OAUでは最近、紛争管理メカニズムを採択したが、これもまだうまく機能していない。ソマリア、リベリア、ルワンダのような悲劇がさらに迫りつつあるが、それを阻止するためには、紛争が暴力的に爆発する前のくすぶり状態の段階で、控えめで非軍事的な何らかの事前抑止的介入が取られるべきである。アジア・太平洋地域には平和維持と紛争解決の役割を果たしうる地域機関が存在しない。これはある程度、歴史的に多国間機関に依存してきたことを反映している。中近東は、いかなる地域機関といえども解決しえないだろうイスラム原理主義の危険に伴う特別の問題を抱えている。ラテン・アメリカでは、過去数十年間の経験は失望すべきものだった。米州機構(OAS)は重要な問題に対しては無力となってしまった。そのため、コンタドラ・グループ、グループ・オブ・エイト(後のリオ・グループ)、あるいは債務問題に関する「カルタヘナ合意諸国」といった非公式な特別グループが形成されたのである。
30.地域主義は、特定の状況では有用かもしれないが、世界全体の統治と秩序を求める際の一般的処方箋ではない。それは世界をむしろ内向的な地域に分散化することになり、グローバルなレベルでの国際協力の可能性やその概念そのものに逆行する影響力を持つ領域圏を出現させてしまいかねない。むしろグローバルな協力の団結と能率を強化し、地域グループへの分裂を回避するためにあらゆる努力がなされるべきである。
31.安保理がその合法性や権威を獲得し、拡大するばかりの責任を果たすために欠かせない政治的・財政的支援が得られるようにするには、安保理の改革と加盟国の拡大が必要なことは、広く確認されている。1945年に現在の常任理事国が決定されたとき、これらの国々は世界のGNPの6割を占めていたが、この比率は今日では4割に落ち込んでしまっている。ドイツと日本が常任理事国になるべきだという広範な合意があるようだが、他の大国も理事国入りをめざすだろう。しかし安保理の構成国拡大が、その能率を犠牲にするリスクを冒してならない。さらに一部には、国連憲章の改訂は「パンドラの箱」を開けるようなものであり、憲章改訂の必要性が他の提案を引き出してしまわないか、という危惧もある。
32.事務総長と安保理とのきわめて重要な決定的な関係の改善という、もうひとつの実務的かつ基本的な調整も必要であろう。この関係は本質的には冷戦によって決定されてきた。冷戦のころ、事務総長が安保理ないしその非公式会議で何か発言すれば、必ず米国かソ連のいずれかの気を損ねるに違いないという問題があった。そこで、事務総長は安保理でも多の非公式会議の場でも発言をひかえた。その結果として現事務総長は、安保理とその非公式会議には出席していない。こうした非公式の会議は事務総長にとって、入手できる情報について開放的に議論し、とりうる行動を検討し、考慮中の選択肢に伴う実際的な困難を明確にさせる上で、貴重な機会となるのではなかろうか。これによって各国政府は、活動の実際の運営に関与していることを実感し、政府の自信も高まるであろう。
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