. 1994 The Lesson of the German Unification Process for Korea in Japanese

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「朝鮮半島にとってのドイツ統一の教訓」

 専門家グループによる結論および提言

議長:ヘルムート・シュミット

1993年2月17−18日

フランス、パリ

 

I. はじめに
II. ドイツ統一への道
III. ドイツと朝鮮半島における状況の類似点と相違点
IV. 考え得る南北朝鮮再統一のシナリオ
V. 政策提言
VI. 朝鮮の移行をどう組織すべきか
VII.国際支援の必要性

 1990年5月にソウルで開催された第8回会合で、インターアクション・カウンシルは、特に以下の提言を含む最終声明を採択した。

 「今日の世界で進行している劇的な変化は、未だに分断国家である南北朝鮮両政府に対しても、同じく劇的かつ勇気ある英断を求めている。インターアクション・カウンシルのメンバーはこの悲劇を憂慮し、平和的統一への第一歩として両国政府が以下の行動をとるよう主張する。

(a)南北朝鮮の指導者は、可及的速やか、かつ前提条件なしの会合に合意すべきである。

(b)人道的見地から、両国政府は南北に離散した家族の直接訪問と、無制限な通信連絡を、許可すべきである。

(c)南北朝鮮の相互信頼を深めるために、両国政府は南北市民の往来を合法化すべきである。」

I.はじめに

1.冷戦の終焉と東西対決の消滅で、政治運営には新たな事態の悪化や緊張の高まりを避けるという、新しい挑戦が待ち受けている。ドイツと南北両朝鮮のような分断国家は、大きなイデオロギーの相違を伴う、冷戦の縮図となっていた。1989年のドイツ統一は、冷戦に終焉の封印を確実にする最も中心的な出来事の一つであった。統一後のドイツは、プラスの、しかしまたとりわけて、数々のマイナスの経験で特徴づけられる過程を歩んで来た。。ドイツ統一の過程およびその後において犯された数々の過ちは、避け得たはずの苦痛を引き起こしたし、その後遺症を克服するには今後数十年かかるだろう。このドイツの経験は、他の国々にもなにがしかの教訓となろう。たとえば朝鮮半島は今もなお、激しいイデオロギー的分断、経済発展の不均衡、核を含む脅威的軍事力の開発増強を反映した抗争にまみれている。

2.朝鮮の分断と、対立は続き得るであろうか。ソ連邦の崩壊や、ソ連共産党の消滅に続く、市場経済への政策転換、また中国における経済改革と新しい地域外交姿勢の展開は、朝鮮半島統一の引き金となるのだろうか。朝鮮半島の統一があるとしてそれは、一定の時間的経過のなかで進められるのか、あるいは「ビック・バン」のように突発的なものになるのか、こういう異なるシナリオのそれぞれの結末はどのようなものになるのか。そして予想される困難と混乱を緩和する上で、ドイツの経験から学びうる教訓はあるのだろうか。ハイレベル専門家グループは、大韓民国(通称:南朝鮮)と朝鮮人民共和国(同:北朝鮮)の最終的に不可避なはずの統一に関連した多くの問題点に光をあてた。

II. ドイツ統一への道

3.西ドイツ政府が統一の唯一の機会を捉えようとして行った政治的決断は、理解し得るし正当なものであり、東側国民の願いに応じてのことであった。しかし、統一の具体的な進め方は、厳正な批判にあたいするものである。西ドイツ政府は、自らの経済諮問委員会をはじめ、ドイツ中央銀行およびドイツの主要経済研究所による経済問題についてのいかなる助言にも全く耳を貸さなかった。そしてこれらの助言内容が的を射ていたことは事後になって証明されたのだった。西ドイツ政府は、東西両国民に対して例えば増税などの犠牲を求めるなどして、政府と両国民ともどもに困難に対処する準備をより良く整えておくべきであった、と論じることもできよう。また野党、企業家、労働組合も、この点についてはひとしく失敗の責を免れない。今日ドイツは、統一のためにとられた資金調達措置を主因とする経済不況に陥っている。さらに、政府が公約しながら実現しなかったさまざまな統一の恩恵に根ざす、失望の波が押し寄せている。

 

4.統一への機会の窓は、特にソ連邦での事態の展開にてらして、政治的見地からはかなりきつく閉じられて見えた。このような背景の中、最後のドイツ民主連邦共和国政府は、一挙に統一する「ビック・バン」型の手法を追求した。ベルリンの壁も含む西側との国境は開かれ、数多くの熟練労働者が東側を離れて西側に移住した。人と物の流れを抑え込むのは不可能だった。東側の司令構造は崩壊したものの、その中核分子が逆転を図るのではないかという恐れは根強く続いた。国民は経済が破局的状態なのを感じとっていたが、おそらくは1990年の初の総選挙運動への思惑から、その真相は国民に伝えられなかった。政府が東ドイツに心理的な感謝ムード作りを望んだため、政治的配慮が経済に優先されることになった。その一方で、コール首相は市場の治癒力が状況にすばやく対応できるものと心底から信じていたようである。その結果、期待が高まり過ぎ、後になって落胆するほかはないことになったのだった。今日、政治家たちは民主主義制度そのものにまでは及ばないものの信頼度と能力評価の劇的な喪失と悪戦苦闘せざるを得なくなっている。

 

5.適正な通貨為替率の選択が、統一の過程と将来の経済発展にとって決定的要因であることが証明された。しかし政治的な観点からすれば、1対1という寛大な交換率と通貨統合は、東側の国民をなだめ西側に受け入れられている実感を与えた。政治家の間には、ドイツの巨額な対外黒字が1989年の年間1080億マルクを最高として約5000億マルクにまで達していたので、この膨大な資産を活用して紙幣を増刷し、東ドイツに多額の資金を注入できるという見方があった。それによって、東ドイツにおける西側の商品への需要が増大するとも考えられたからだ。2年間でドイツの収支は1500億マルクの赤字に逆転した。その結果西ドイツは、東ドイツが必要としている資金需要を満たすことができなくなっていった。貿易収支のみならず資本市場や短期および長期金利でも緊迫した状態が高まった。かくてドイツ中央銀行は、主として高いインフレ率への配慮から、国際的に深刻な波紋を投げかけた高金利政策を採らざるを得なかった。

 

6.1対1の為替レートがあまりにも行き過ぎだったことが証明され、やがて後に経済的、政治的にさまざまな問題を引き起こした。実際、東独通貨は約300パーセントも切り上げられ、東独製品の競争力のなさに拍車をかけることになった。東と西の生産性の差が1対3だったため、東独の製品は世界中のどの市場でも売れなくなってしまった。特に旧ソ連ブロックの経済が完全に崩壊したため、東独製品の従来の海外市場は衰退した。これらのことが大量失業を引き起こした。

 

7.統一と同時に、東独は自動的に欧州共同体(EC)のメンバーとなった。旧コメコン(経済相互援助会議)諸国における市場を失う一方で、競争力にまさるEC諸国の産業のために、国内市場の多くも失った。これらも、深刻な失業問題の原因となった。現在のところ旧東独への財政資金の移転は、年間で1000億ドル台となっている。

 

8.ドイツ統一3年目において、経済発展の不均衡は予想をはるかに上回る。工業生産の歩みは1989年以前よりも落ち込み、サービス産業も活気を失った。かなりな発展を示すいくつかの部門はあるものの、歩みがのろかったり後退傾向を見せている部門もある。旧東独各州の公共支出や開発資金の3分の2は、西からの巨額な財政資金の移転でまかなわれている。このような資金移転によって、東独の一人当たり支出は倍増した。しかし国内の経済成長は極めて少なく産業部門の生産低下によるマイナス影響は、他部門のいかなる成長をもはるかに超えている。現在の生産性の低さを克服するには10年から15年はかかるだろうし、住宅部門などは優に半世紀を要しよう。

 

9.市場経済への移行期間中、すべてを市場の力にゆだねてしまえるものではない。旧東独におけるインフラの不足は、環境汚染や高度技術の欠如とともに、甚だしく過小評価されていた。政治、法律、経済、教育、社会保障から交通規則までが変わった。このような紛れもない革命がもたらすストレスに対処したことは東独住民の偉業であった。しかし、これによって不信、主体性の欠如、混乱、恐怖などの、本来もっと手際良く処理されるべきだった現象が表面化してしまった。

 

10.統一後の経済発展は、国営企業および資産の民営化に関する諸法令によっても阻まれた。統一条約は民営化について、東独における国営企業、会社、住居用建物のみを対象とし、原則として本来の所有者またはその相続人に返還されると定めている。個々の事業の解決には10年から15年はかかるとみられ、それが法律的にかなり難しい状況を生み出している。180万件の変換請求が提起されており、それが解決するのを、待たなければならないから、係争下の資産の返還は何もすることができない。国外投資家のほとんどは、仮に資産を取得しても後になって返還請求による所有権争いに巻き込まれかねないと怖じ気づいてしまい、これが海外からの投資の流入をさらに抑えて経済発展を阻んでいる。

 

11. 上意下達の命令体系は西側の横割りシステムとは相容れないものとされて、旧東独の諸法令は残されなかった。それに代わって、世界でも最も複雑な制度の一つである西独の法律制度および行政法令と諸手続きが文字通り一夜にして、これまで法の支配ということがほとんど意味を持たなかった地域に導入されたのである。西独の行政官や専門家を東独に配置せねばならず、それが植民地化されるような印象を東独の人々に与えた。西独の法制度の形式重視と、たいへんな数の不服申し立ての可能性が速やかな経済発展と再建の代表的な障害となっている。

 

12. テレビ番組の相互交換や郵便サービス、相互訪問があったにもかかわらず、東西ドイツはお互いのことをあまりにも知らなすぎた。その結果、現在とりわけ東独で幻滅が広がっている。最近の調査によれば、東独国民の48パーセントが統一前よりも状況が悪くなった。また11パーセントが良くなっていないと感じており、生活が良くなったというのは41パーセントに過ぎなかった。東独国民は西側世界を現実よりはるかに安全で、美しく豊かなものと思い込んでいたのだ。西側は東側を知らず、東側も西側を知らなかったのである。東西ドイツ国民のほとんどは、まだなお国の統一が何を意味するか認識していない。西ドイツの国民は、まだその大多数の肩にかかって来ていない少なからぬ額のコストのことを軽視して、統一はごく容易に成し遂げられると考えている。ドイツ政府は西ドイツ国民に、犠牲の必要はまったくない、と伝えるという過ちを犯した。これとよく似たことが東独国民にもいえる。東独国民は今でも、根本的変化なしでも統一の過程を切り抜けられると感じている。彼らはともすると従来の思考や体制にこだわりがちで、基本的変革を行おうという意欲には限界がある。精神面での変革は両側ともに極めて遅い。現在のような状況では、東独が西側に追いつくには25年はかかるだろう。東西ドイツの生活水準が同レベルに達するのは、2世代以上はかかるだろう。

 

13. ドイツ統一は国内問題として取り扱われたが、実際には国際的にかなりの影響があり、それは今後も続くだろう。ドイツが一夜にして人口6000万から8000万の国になるのがどれほど重大なことかを良く考えなければならない。ドイツの人口は今日、イギリス、フランスやイタリアの1.5倍、ポーランドの2倍、オランダの5倍、フィンランドの20倍である。このような増加に大半の近隣諸国が疑念を抱くのは、ごく自然なことである。ドイツは当面大きな経済問題を抱えており、これは今後10年あるいはもっと長く続くだろう。しかしドイツの隣国すべては、最終的にはドイツが経済的にトップに浮上すると考えている。こうした状況のもとでは、統一ドイツが引き続き欧州共同体および北大西洋条約機構(NATO)の一員であることは、ロシアも含むドイツの隣国すべてにとって安心の拠りどころである。

 

III. ドイツと朝鮮半島における状況の類似点と相違点

14. ドイツの統一は、分断が長期に及び状況が厳しくても、国家統一の再現は可能であり、また統一が民主的かつ平和裡に達成し得ることを、如実に示した。とはいえドイツと朝鮮半島では類似点もあるが、国内および対外両面の観点で多くの相違点もあるようである。

 

15. ドイツと朝鮮はともに、第二次大戦がもたらした資本主義の西側と共産主義の東側の対立を背景に分断された。両国とも冷戦時代を通じて統一の望みはなきに等しかった。ドイツとは異なり、南北朝鮮は激しい戦争を交えた。東西ドイツは南北朝鮮とは異なり、政府レベルの定期的折衝を保ち、また僅かながらも民間の接触や文通連絡を保証する、一連の条約を締結していた。朝鮮半島では、北朝鮮が今日にいたるもなお、完全な鎖国状態を続けている。情報は規制なしではまったく国内に入らず、外国のテレビ・ラジオの聴取は皆無であり、外国との接触は文通すら許されていない。旅行は国内外を問わず許可・制限事項になっている。金日成は50年近くも国を支配し、北朝鮮に彼独自のマルキシズムと「チュチェ(主体)」国家主義を深く刻み込んだ。国家の指導者や特権層を除く、すべての北朝鮮国民は世界全体の発展ぶり、特に韓国の社会・経済状況のことをなにも知っていない。このような全体状況は、朝鮮半島の統一がいかなる過程をとるにせよ、政治・社会的不安のリスクで満ちたものにすると考えられる。

 

16.ドイツと朝鮮には、経済の面でも全体状況に重大な違いがある。人口の比率は、東西ドイツが1:4であったのに対して、北朝鮮と韓国の場合は1:2である。北朝鮮の経済は、1990年に3.7パーセント、1991年には5.2パーセントそれぞれ落ち込んだとされている。韓国はここ20年ほどめざましい経済成長を遂げて来た。その結果、両国の所得格差は広大するばかりである。今日、韓国の一人当たり所得は少なくとも北朝鮮の5倍である。これだけをとっても、南北朝鮮間の経済統合は困難で複雑を極める事業になるだろう。統一の時点における、東ドイツの一人当たりGDPは西ドイツの25パーセントだったが、北朝鮮のそれは、韓国の約16パーセントしかない。北朝鮮の貿易量は1990年には47億米ドル、1991年には27億米ドルで、落ち込みは輸入の減衰が原因だった。一方、韓国の1991年の貿易量は1530億米ドルに達している。北朝鮮の貿易は約70パーセントが中国と旧ソ連だった。両国は今や、以前のようなバーター貿易や補償貿易ではなく、北朝鮮の乏しい交換可能通貨での支払を要求している。北朝鮮は石炭などの原材料と引き換えに、旧ソ連から毎年数百万バレルの石油を輸入していた。現在は4万バレルしか輸入しておらず、産業生産と生活水準に深刻な影響を与えるエネルギー危機が発生している。産業生産施設の稼動率は、実際には40パーセント落ち込んだ。北朝鮮の指導者は、西側の資本と技術に対して自国を開放し始めているように見受けられる。今までのところ北朝鮮への投資のほとんどは、在日朝鮮人100万人のうちの約20万人を占める北鮮系の人々との合弁事業の形をとっている。

 

17. アジアには共通市場が存在しないので、東独の場合とは異なり、両朝鮮のどちらにとっても統一によって直ちに新しい海外市場へ参入できることにはならない。韓国の主要な輸出先である米国と欧州における保護主義は、韓国の輸出基盤を侵食し、韓国の経済的立場を危うくする恐れがある。将来の統一過程を支援するために、望むらくは将来、国際社会が朝鮮に対してもっと好意的であってもらいたいものである。しかし、現在の国際貿易交渉の状況を見ると、統一された朝鮮が欧州共同体および米国に対して確実な参入を認められる見込みはない。

 

18. 産業基盤に関する南北朝鮮の相違は、東西ドイツの場合とはかなり異なる。東独とは異なり、北朝鮮は様々な原材料の供給のほとんどを基本的に崩壊以前のソ連とのバーター貿易に頼っていた。朝鮮統一は、新しい他の輸出市場の開拓を意味するかもしれない。北朝鮮の貿易実績が限られていることを考えれば、統一後に北朝鮮製品の需要が減少しても、東独が経験したような問題が引き起こされることはないだろう。現在、韓国と北朝鮮は、香港、シンガポールおよび日本を経由する間接貿易を行っているだけである。1988年から1992年に、両国間には4億5000万ドル相当の輸出入があったに過ぎない。ドイツの場合には、西独政府による寛大な融資制度(いわゆる「スイング」)によって、統一前の東西ドイツの貿易は着実に拡大していた。

 

19.北朝鮮は深刻な物不足に悩んでいる。同国の1991年の穀物消費量は650万トンであったのに対し、生産量は440万トンであった。不足分の一部は韓国からの贈与でまかなわれた。統一後は、経済力の強い韓国が2200万の北朝鮮人を背負っていかなければならず、これには相当の資金が必要となる。

 

20.北朝鮮の経済は、統一時の東ドイツの経済よりはるかにひずみが大きい。さらに同国の経済は、東ドイツよりもはるかに軍事的要求に即せるように組織されている。これもまた、統一後の軍人の除隊問題を複雑にするかもしれない。

 

21.労働賃金の格差は南北朝鮮よりも東西両ドイツ間の方がおそらく大きかったろう。ドイツでは西側の水準に合わせたこと、またよりコストの高い西側の社会保障制度を導入したことによって、労働賃金の総額は上昇した。韓国の社会保障制度のコストは、ドイツに比べてさほどには高くない。

 

22.総体的に、韓国はいまだに統一に要するコストの全額を負うだけの力量に達していないので、増税と大規模な対外借入に踏み切らなければならないかもしれない。それに韓国は、他の国々に対して再統一の支持と引き換えにした寛容な援助プログラムを供与できるような立場にはない。

IV.考え得る南北朝鮮再統一のシナリオ

 

23.朝鮮再統一に関するいかなる議論においても起こり得るいくつかの展開が検討されるべきであり、なかんづく北朝鮮内部での事態の進展を研究することが必要である。金日成の後継者が政策を劇的に変える、変えない、というのがその一つである。そのいずれであるにせ、再統一への過程は長びくだろうが、それが一方では経済、社会情勢に寄与する結果ともなろう。また、北朝鮮の党エリート集団の一部による組織や指導部への反乱というシナリオもあるかもしれない。そのような場合の結末は全く予測不可能である。さらに北朝鮮経済の崩壊が韓国による吸収をもたらすというシナリオもあり得る。再統一への段階的アプローチの方が選ばれて、このような選択肢が回避されるように望まれるところだ。さらなる可能性としては、開国による中国式の改革もあり得よう。最近の合弁の推進がこのような改革の方向を示唆してはいものの、私有財産が存在していないことがこの選択肢を難しくするだろう。この方向が具体化した場合、韓国には経済的・社会的な協力を供与する容易があるように見受けられる。

 

24.究極的には、両朝鮮ともに再統一後にどのような国家を望むのかについて、ある種のビジョンを持つべきである。漸進主義は逆転の危険とうまく均衡をとらなければならない。漸進的な方法論は、その手順を逆転されないことが確実となってはじめて、追求されるべきである。仮に政治的意味合いで逆転の危険があるなら、「ビッグ・バン」的な手段をとる方がより望ましいだろう。あまりにも漸進主義的であり過ぎると、それ自体はかり知れないほどの大規模な制度改革を徹底しなければ方法そのものがつまづくことになる。最も重要な責務は統一に先立つ移行機関に軍事的混乱を抑止することである。その後には両国が統合に進む期間が来よう。そして何よりも韓国経済の国際競争力を維持させる措置がとられなければならない。

 

25.北朝鮮と韓国間ですでに行われたような交渉および両国の指導者間の接触をさらに呼びかけたインターアクション・カウンシルの1990年ソウル総会の提言は、依然として妥当なものである。

 

26.ドイツの再統一には特定の好ましい対外環境が背景にあった。すなわちソビエト指導者のペレストロイカ推進、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーにおける劇的な変化、ベルリンの壁の崩壊、ソ連・西側諸国間関係はめざましいなどである。朝鮮半島は全くこのような状況下にはない。南北朝鮮にとっては、近隣諸国、とりわけ中国や日本とのより良い外交関係を保つことが重要である。中国、日本、米国、アセアン諸国など、この地域に政治その他の利害関係を有す国々は、この再統一への過程に関与しなければならない。南北朝鮮には再統一の過程を誘導するような国際環境を育成する責任があり、これを国際社会が同意し、支持しなければならない。国際社会全体が特に懸念する問題の一つに、北朝鮮の核の現状が朝鮮の再統一にいかなる影響を及ぼすかということがある。


V.政策提言

 

27.一般的には、南北朝鮮は統一を急いではならないし、他からの圧力で統一させられるようなことは回避すべきである。制御された状況に基づいた漸進的プロセスが望ましい。このためにも両国はいかなる段階や局面であれ、統一の政治的機会が出現する場合にたがいに備え合っておくことが最重要課題である。いったん統一への過程が動き出したら、政治決定は経済政策や条件と全面的に整合され調整されなければならない。上意下達的統制経済の転換にはあらゆる領域におよぶ極めて周到かつ綿密な計画が不可欠である。移行の大きな阻害要因になり得るのは、除隊復員が明白で大規模な失業の到来を恐れる巨大な北朝鮮軍であろう。

 

28.「ビッグ・バン」という状況においては、韓国は10年間にわたって毎年GDPの8パーセントを北朝鮮に移転しなければならないだろう。より漸進的な状況の下では、GDPのおよそ3パーセントが必要とされる。生活水準の均等化達成には、30年以上の年月を要するだろう。いかなる方法をとるにせよ、経済の成長基盤を弱めずに国家の統一を短期的あるいは中期的に成就させることはできない。外国資本への依存とともに韓国の貯蓄の活用も必要となろう。国家の経済基盤を損なうので、貯蓄が消費目的に流れぬよう然るべき措置がとられるべきである。韓国の国民は、移行期間には経済の一般状況が変化することを承知していなければならない。統一の結果として資本の過剰需要と労働力の過剰供給が起きるだろう。これに対応するために政府支出を再配分し、南から北へと移転させる必要がある。

 

29.いずれの統一への過程をとるにせよ、移行を成功させるには、適正な為替交換レートの選択がなににもまして重要となる。可能であれば、適正な交換レートを確立するための緩衡手段として二つの通貨に基づいて進めるべきである。好意の度が過ぎた為替交換レートにしてみたところで、賃金の実勢交換レートを決定できないばかりか、それが事後の賃金の形成過程の基本となって、一般大衆の期待を高めてしまうことにもなる。あまりにも急速に賃金の平準化をすべきでない。さもなくば失業率が高くなり、それが望ましくない人口移動を引き起こすことになろう。資本の所有者が存在しない北朝鮮での任意的な賃金交渉も事態を誤った方向に導くと考えられるので、規制されるべきである。

 

30.移行期にまず取り組むべき責務の一つは、北朝鮮の農地改革である。第2次世界大戦後に韓国が得た経験がこの難作業の指針となろう。従って財産権の問題処理は、朝鮮統一後に際立った役割を果たすことになろう。生存中の元の所有者への財産権の返還、権利証書交付方式による国民への財産権配分、公開入札による国有財産の売却、実際的使用者への配分や国債による補償など、さまざまなことがあり得る。こうした返還という方法はもし早い時期に効果的な勧奨措置を海外投資家に供与することになるのなら、適切ではないかもしれない。

 

31. 民営化は一つの方法である。その目的は市場経済のなんらかの要素を導入することにある。国営企業の民営化への過程においては、南からの訪問者が増えると予想されることから、ホテルのようなサービスおよび観光事業に優先度を置くべきである。集団農業から自営農業への転換では深刻な問題が起こるのを避けられまい。30年から40年におよぶ集団農業主義の後では、農民は消滅しており、いるのは農業労働者だけとなろう。加えて肥料、農具、設備、器材、さらにトラクターなどの車両の欠如がこの事業を阻害するであろう。

 

32. 産業政策は多くの問題や挑戦に対応し得るよう立案されなければならない。すなわち、環境汚染、失業、社会正義、経済力の集中といった諸問題である。市場の力も、南に対抗できる生産的な経済構造を北には築けそうにない。国家の介入、計画、意図的な資源の移転などは不可避であろう。

 

33. 公的インフラストラクチャー、つまり道路、エネルギー、交通、通信、病院、学校などは、経済を機能させる必須条件である。より市場志向型の経済を管理運営する機関が構築され、その機関が何を、どのように資金を調達し、どこにどれほどの期間で進めるかといったことを決定しなければならない。さらに職場内訓練および再訓練という重要な人的資本への投資とともに管理職、企業家、技術専門家の一時的再配置の必要もある。新しい教育カリキュラムの導入を含む、教育の特別な調整も必要である。大学においては、教授や管理者の資格を洗い直すべきである。現行の社会福祉制度は北朝鮮国民を受け入れるために拡充されなければならない。

 

34.韓国の規則や法規、許認可手続きなどは無修正で北側に適用されるべきではない。むしろ、移行期には、新たな制度的枠組みが考え出されるべきである。北から南への移住や流入に一定の制限措置をとることにもメリットがあろう。徹底的な研究に値する一つの提言に、独自の法令と通貨を持った特別行政区域を北朝鮮内に創設するということがある。これは統一朝鮮の一部とはなるが、ある一定期間は国とは異なる特別地域として扱われる。このような特区では投資家、雇用者および被雇用者に対し特別の勧奨措置を供与することができる。

 

VI.朝鮮の移行をどう組織すべきか

 

35.朝鮮民族の分断状態の賢明な管理統御こそが最も重要な事項である。管理の失敗はすべての朝鮮民族に悲劇をもたらすだろうし、なにを措いても朝鮮戦争の再発だけは避けなければならない。分断状態の管理統御は、統一への国民の意欲や国民的合意に水を差さないように行われるべきである。全く対立するイデオロギーや経済システムの下にある二つの社会を唐突に政治的に統合するのは、政治の無秩序や混乱、挫折感を招くことになろう。最も望ましいプロセスは、協力体制や相互行動を強化するネットワークを通した漸進的統合であり、それによって南北両社会の人々は相互信頼や自信を築きあげることができよう。

 

36.1991年に北朝鮮と韓国は、1953年の休戦協定を含む全面条約に調印した。この条約は東西両ドイツ間で交わされた1972年基本条約よりはるかに緻密なものだが、いまだ発効していない。重要な責務は、1000万世帯におよぶ分断家族の問題への対応だが、これは必ずしも人々の大規模な移動にならずにすむはずである。むしろ人々はまず場所や日時、状況下を問わずにお互いに会うことを許されるべきである。

 

37.北と南の国家再統一は表面的には一つの国内問題である。しかし、朝鮮半島の統一を促し、さらに同半島および北東アジアに安定をもたらすような環境条件を作ることは必然的に国際的な意味合いを持つ。北朝鮮政権の突発的崩壊は、1989年のベルリンの壁の崩壊のように、一夜にして朝鮮半島から国境が消失することになるかもしれない。ドイツの場合では、4大国とりわけソ連の影響が極めて大きかった。朝鮮の場合、近隣大国との関係がかなり異っている。近隣諸国に比べると、両朝鮮は小さな国であり、かつて周辺の国々の安全を脅やかしたこともなかった。朝鮮はドイツのように政治的機会を捉える必要はない。従って、再統一の過程をうまくこなすためには、より慎重なペースを心がけるべきであろう。

 

38.朝鮮は隣国として重視している3つの主要大国、つまりロシア、中国、日本の支持をとりつけるべきである。北朝鮮の将来は中国の発展に密接につながっている。朝鮮半島に対する中国の見解は今後極めて重要なものとなる。米国および東南アジア諸国もまた、海洋をはさんだ隣国とみなすことができる。4大国および東南アジアの中規模国家群は、将来の経済上のパートナーとして接触すべきである。朝鮮はまた、将来の統一朝鮮が日本の先進企業や産業とのし烈な競争に耐えうる実力を備えるよう努力すべきである。韓国は現在、人口4300万の国家だが、統一後には6000万人前後となる。6000万の朝鮮人は数の上では1億5000万のロシア人、10億の中国人、あるいは1億2000万の日本人などとは比較にならない。しかし、統一朝鮮は極東および世界経済全体における大きな要素として考えられなければならない。

 

39.核軍備問題の解決は、両朝鮮との対話および経済協力再開の前提条件となろう。国際社会は、北朝鮮が核兵器を具備し、核不拡散条約(NPT)に違反するという脅威を憂慮している。その上に、統一朝鮮における将来の軍事体制にも何らかの保証がなければならない。NPTの遵守は一つの側面に過ぎない。6000万の朝鮮人は相当な威力であることを考えに含めておくべきだろう。統一朝鮮が将来、平和志向の国となることを近隣諸国に保証するためにも、ドイツ国会がポーランドの国境に関して行ったように、朝鮮にはいかなる国境線も変更する意志がないことの明確な誓約がなければならない。

 

40.南北朝鮮の均衡を保つ上において、在外朝鮮人社会が重要な役割を担う。在外朝鮮人社会はすでに北朝鮮に合弁事業を設立しており、北朝鮮の将来の利害関係者となっている。こうした在外朝鮮人社会を統一への準備と議論のなかに非公式に加えるべきか、加えるならばどのような形にするか、といったことも検討されるべきである。

 

41.朝鮮統一をめぐる政治的および安全保障上の側面についての国際的な協議がなされるべきである。ドイツの場合にも、NATO加盟国としての立場や将来の軍備規模、政治的見地からの統一に関する原則などが協議のテーマであった。朝鮮についてはさらに経済的側面も考慮しなければならない。ドイツの場合は、すでにECの内部に域内経済活動のあらゆる面を包括する「EC協議」という枠組みの緻密なネットワークが組み込まれていた。(さらに重要なのは、ドイツは財政的支援を外国から求めなかったが、朝鮮の統一の場合は他の経済大国からの一定度の経済的・財政的支援なしでは成功し得ないということである。)ドイツ統一の国際的側面を解決するために適用された「4+2方式」と同様に、「4+2+1+1方式」、すなわち中国、日本、ロシアおよび米国+北朝鮮および韓国+アセアン(ASEAN)+在外朝鮮人社会といった仕組みも考えてよかろう。こうすれば朝鮮統一に関心を持ち、あるいは利害関係のある集団や国々が会合して未解決問題を協議し、信頼、安定、発展をもたらす包括的解決策を準備することができよう。

 

VII.国際支援の必要性

 

42.統一され安定した朝鮮は北東アジアのみならず、世界全体の利益に合致するものである。統一を支えるためにも、朝鮮は相当規模の国際的経済・金融支援を必要としよう。日本は依然として巨大な貿易黒字を計上しているが(1992年度は1300億ドル程度)、長年日本とともに世界に誇る金融大国だったドイツは、統一後もはや黒字国ではなくなった。従って日本の負担は、現行の開発援助と東欧諸国への改革支援に加えてますます重くなるだろう。

 

43.道路、港湾、鉄道、通信、電力供給など、北朝鮮のインフラストラクチャーは極めて貧弱であり、統一後はこれらの分野に向けて巨額の投資をしなければならない。世界銀行、アジア開発銀行、その他の国際金融機関から巨額の融資が確保されねばならない。

 

44.民間投資は、日本からだけに限らず拡大されなければならない。その第一段階として、韓国は国際投資フローの80パーセント以上を占めるOECDのような国際経済協力機関とより密接な協調関係を持つべきである。OECDの枠組みの中で朝鮮は、国として海外投資の保護、貿易、金融の自由化、人々の移動などに関する規定や原則に基づく相互的な履行義務を遵守するよう求められることになるが、これによって朝鮮半島への投資はさらに活発化することになるだろう。

 

最終的考察

 

45.机の引き出しにはいくつかの異なるシナリオを保管しておくべきである。純粋に政治的または戦略的観点からみても、理想とすべき漸進的かつ実用的なアプローチとはかけ離れたシナリオを作らなければならないこともあろう。政治支配者、軍部または大統領周辺の一族などにもあらゆる異なった可能性があることを予期するよう強く求めるべきである。経済分野では、政治的な事情が漸進的なアプローチで着手するのを許すようなら極めて幸運なことだ。しかし漸進的アプローチも、開始後数カ月で予測不可能だった状況のためにつまずくかもしれない。朝鮮の統一は、中国、ロシア、日本または米国の意志に逆っては達成されない。そこで何が必要かをドイツの歴史的経緯から学び取るとすれば、それは北京と良好な関係を構築することであろう。通常の外交関係を樹立するだけでなく、近隣諸国との関係の中に信頼が築かれねばならないのだ。南北朝鮮を統一するのに、東京の同意は不要だとしても、ビッグ・バン的であれ、漸進的プロセスの後であれ、確実に日本からの財政援助は必要である。日本は輸出資本を生み出す能力を有する唯一の国である。中国とロシアは戦略的見地から、そして日本は金融的見地から必要なのである。日本人には、朝鮮半島に援助の手を差しのべることで、極東、南アジア、太平洋諸国が日本に対して抱いている猜疑心を薄めることができるということを教えるべきである。

専門家会議参加者

カウンシルのメンバー

議長 Helmut Schmidt(ドイツ)
Maria de Lourdes Pintasilgo (ポルトガル)
Shin Hyon-Hwak(韓国)

専門家

Kyong-Shik Kang(韓国)
Hans-Joachim Langmann(ドイツ)
Emile van Lennep(オランダ)
Hans Matthoefer(ドイツ)
Meinhard Miegal(ドイツ)
Wilheim Noelling(ドイツ)
Seung-Keun Rhee(韓国)
Sang-Woo Rhee(韓国)
Susanne M. Schmidt(ドイツ)
Richard Schroeder(ドイツ)
Peter Schulz(ドイツ)
Horst Siebert(ドイツ)
Ha-Cheon Yeon(韓国)
Vadim Zagladin(ロシア)

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