. Message from Mr. Mikhail Gorbachev to the 16th Plenary Session in Rio de Janeiro in Japanese


ミハイル・ゴルバチェフ

1998年5月

(OBサミット・リオデジャネイロ総会への提出論文)




世界情勢の展開に見られる特徴と趨勢


I.


世界の現状の複雑で矛盾し対立しあう特徴は広範に知られており一般的に認識されてもいる。また、現存する問題を危機に陥れるような展開を予測し阻止することの出来ない政治への批判も一般的風潮である。


政治は常に二つの危険にさらされている。すなわち、(1)歴史的現実を断ち切るかその前を走ることにより、当初から失敗が運命づけられてしまうユートピア的事業に専念してしまうこと、および(2)現実から取り残され、出来事を把握出来ず、火事が収拾つかなくなってから消防署を出発するような消防車となってしまうこと。この場合も失敗と深刻な被害をもたらしてしまう。


今日の世界は、第2番目の危険にさらされている方が多い。つまり、政治が事象から取り残されているのである。種々の出来事への対応も時代の挑戦を受けることにも遅々としている。


しかし、政治の世界では、現存するか出現しつつある問題が多々存在すること、そしてこれらすべてが政治的手法のみで解決されうるものではないことを認識しなければならない。今日の多くの複雑な状況は経済分野において経済的なプロセスの結果発生するからである。経済と政治の関係は、19世紀ないし20世紀半ば頃から革命的に変貌してしまった。従って地経学が頻繁に議論され、地政学の反対に位置づけらていることは驚くにあたらない。この対置はあきらかに根拠のないものである。おそらくこの二つの概念およびそれらが反映する現象は密接に関連しあい、相互に影響を与えているのだ。にもかかわらず経済プロセスにおける政治的役割はますます重要になっているのである。


しかもこれがすべてではない。世界の政治、個々の国家と国家グループにおける今日の諸問題は、世界いたる所でみられる深淵な変化と緊密に関連しあい、異なる民族や国際社会の習慣的存在基盤そのものに影響を及ぼしている。あまり正確ではなくとも一般的に受け入れられている表現を使うと、我々が目撃しているものは、工業発展段階における先進工業諸国の工業化後の動き、経済システムを市場経済に移行しつつある諸国の文明的変遷、そして多くの開発途上諸国の工業化である。そして世界の諸国家の大部分にとってこのような変化は単に経済的なものだけでなく、社会・政治的なものでもある。


これらすべて、すなわち政治のみならず経済プロセスと文明の変化は、世界の発展の現段階における国際関係の特性を決定するのである。


冷戦の終焉後出現した世界秩序は、往々にして世界不秩序ないし世界カオスと呼ばれている。そこに内包される変化そのものが、不確実、ダイナミック、可変的、さらに予想不可能なものであるかぎりこの呼称は正しいといえる。しかし、これは不秩序でもカオスでもなく、移行期の世界秩序であり、世界に真の新しい秩序を形成する期間なのである。その輪郭は未だ明瞭ではない。その特徴は依然として不確定であり、出現しつつあるプロセスの客観的内容と主観的要因、すなわち政治家と彼らの政策、によって決められよう。つまり現在のすべての問題が政治に由来するあるいは政治の世界に台頭するものではないが、政治はその解決に当たって最も重要な部分をになっているのである。


我々が今日おかれている転換期は、かなり長期におよぶかもしれない。というのもこれはいたる所で深刻かつ深淵な変化として現れ、人間の生活のすべての面に影響をおよぼしているからである。そして多くの国々と人々にとって、これは一つの歴史的時代からもうひとつの時代への移行を意味するのである。


世界の発展が加速されていることは明らかであり、これを阻止することは実際不可能である。しかし、経済・社会・政治的進歩の効果のみで多くの問題を自動的に解決せんとする願望ゆえにこの発展を人為的に早めたりすることは、少なくとも危険である。何故ならば、そうした試みが制御不可能なほど爆発的な反応を引き起こすかもしれないからである。思いやりのある政治家や政策、細心の注意が払われた責任を伴う行動、そして進歩への決意を伴う慎重さと先見の明がここでは不可欠な要素となってくる。


II.




インターアクション・カウンシル(OBサミット)は、多くの意味で将来を決定するこのような複雑な問題に世界の注目をひいた数少ない機関のひとつであることを強調したい。1991年のプラハ総会の最終声明で西側も東側も、社会主義も資本主義も時代の挑戦に十分応えて来なかったと主張して以来、カウンシルは毎年出現しつうある諸問題に世界の注目をひいてきた。それもこれら諸問題の外部的顕現の分析に囚われるのみでなく、その根元をなすものを徹底的に研究し、政策の形成はそのような研究に基づかなければならないと主張してきた。


OBサミットは特に、グローバリゼーションの肯定的、否定的さらに危険な側面を分析した最初の機関である。(危険な側面は主として金融市場のグローバリゼーションに関連している。)


確かに、グローバリゼーションは国際社会の多くの側面を決定づける重要なプロセスである。世界政治と国際情勢の現況に直接関連したものとして、次の2点に言及したい。


第一に、グローバリゼーションはその程度に差異はあるものの、世界中を巻き込んでいる。最近の「アジア危機」はこれを立証している。しかしこのプロセスにはばらつきがあり(主として金融市場、そして主に多国籍的部分、通信等における世界経済全般に集中している)、だいたい自然発生的である。この双方の要因が深刻な問題、矛盾、対立をもたらしている。カウンシルが繰り返し強調してきた点はますます明瞭となってきた。すなわち、世界規模の規制の必要性であり、いずれにせよ重要なグローバル・プロセスの規制である。


第二の側面は、グローバリゼーションが経済・金融・情報の分野で顕現しているが、政治の分野ではほぼ欠落しているということである。もちろん、G−8があるが、このグループの決定の効果は高くなく、とくにその参加国が経済力のある国々なので、世界約200カ国のうちのほんの一部の意志しか代表していない。国連もある。しかし残念ながら基本的な問題について世界的な合意に達成できずにいる。しかも、G−8も国連も国家の組織であり、グローバリゼーションは基本的に資本、金融、多国籍企業といった民間レベルで発生しているのである。


最近確かに、国際的な銀行や企業の活動に関連するいくつかの行動が試みられている。多国籍投資協定はその一環である。しかし、この場合もその意図はこれら多国籍企業の活動を規制することではなく、これらに無制限の自由を与え、選択肢が深刻なほど限定されてきている国家の活動をさらに抑制することにある。



III.




端的にいうと我々は、一方ではグローバリゼーションの自然発生的かつ制御不可能な側面と他方ではグローバル化した世界の特定現象に順応する国際的な政策への満たされないニーズとの間のまぎれもない矛盾に直面しているのである。巨大な危険と脅威にさらされた世界的発展のプロセスを抑制しうる世界的な政策へのニーズを満たすことが、21世紀の瀬戸際にたった国際社会の緊急課題といえよう。


このような政策を形成することはますます重要となってきており、その不在が続くと紛争がグローバリゼーションに応対するという形で、将来ますます頻発していくだろう。


事実、最も先進し安定した国家のなかでも、グローバリゼーションは民族国家のアイデンティティーに関する怖れを植え付け、これは統合への傾向を逆流させる。この点は、今日の欧州のユーロに関する議論を傾聴するだけで理解できよう。しかし、あまりにも多くの国々が依然として国家としての基盤すら固めておらず、かなりの国々はそれ以前の種族関係というレベルにしかない。このような状況の下で、グローバリゼーションは、人々の自決および新たなアイデンティティの確立と対立してしまう。これらの二つのプロセスの間の苦しい衝突は、客観的には民族間・宗教間の紛争を刺激してしまう。これは特に、特定の国家指導者および国際社会全体におけるデリケートかつ慎重に考慮された政策の必要性を強調している。


グローバリゼーションが客観的に(そして往々にして主観的に)強力な金融・産業帝国、時には国家の影響下に世界を分割するような形態で進行している今日、この点はより真実性をおびてくる。国家の場合は、米国の政策にはっきりと顕現されている。主要な天然資源、最も有望な市場および投資地域を将来所有する道具としてのグローバリゼーションは我々の時代の現実なのである。


グローバリゼーションをこの側面だけで評価するのは当然まちがっている。潜在的には、グローバリゼーションは個々の国、地域、そして世界全体に偉大な機会を創出しうる。この点を過小評価すべきではない。グローバリゼーションとグローバルな市場がいくつかの問題を解決するか、あるいは解決の助けとなったとしても、一般的に市場はそれ以外の問題を直接解決できないか解決策の邪魔となっている。ここに顕著な偶然が見出せる。市場自体もグローバリゼーション自体も緊急に解決を要する社会、民族、宗教間の問題に対応できない。ここでは政治が、その役割を果たさなければならないのである。そしてそれを率先するのが先進大国の政策である。そのような政策が任務を履行しているとは、私には思えない。こうした政策が後手後手にまわっているのみならず、場合によっては緊急な問題の現実的な解決策とはほど遠いものとなっている。こうした例証は多々ある。明らかに、全ての問題の解決を武力に依存することはできないが、この手法はいぜんとしてあまりにも頻繁に、特に米国によって使われている。現実的な敵が不在なのに安全保障を強化すること、なかんずくNATOのような軍事ブロックを拡大し、ヨーロッパ人を「清潔」と「不潔」な人種に分割することは、不自然である。これは敵対していた過去の延長ないし遺産でしかない。


しかし、異なった展開も見られる。一方では過去においても擁護できいことが繰り返し証明された手法を使って現在と未来の任務を達成する試みは敗退しはじめており、期待外の結果をもたらしている。例えば、最近のイラク情勢は、この問題のより本質的な側面 ― 絶望的にみえる状況を克服するための政治的解決と忍耐強い対話を求める諸国家の強い傾向 ― を立証した。


イラク危機の解決、アイルランドにおける平和への前進、コソヴォ問題解決のための政治的議論および願望等は、機会(常に存在していた)を立証するのみならず、最も困難な状況から抜け出す穏当な道を探る、ますます多くの国々の意志を証明しているのである。こうした探求におけるいくつかのEU諸国、中国、ロシア外交そして多くのアジア、アフリカ、ラテン・アメリカ諸国家による積極的な役割は、疑いなく肯定的な特長といえよう。


ここまでは個々の国家政策について主として言及してきた。しかしほとんどいかなる経済問題も政治問題も全世界的とまではいかなくとも国際的な次元を有するこのグローバリゼーションの状況下では、こうした問題の十分な解決策を個々の国が見いだすことはますます困難になってきている。従って地域統合のプロセスが加速されてきたのである。この点経済的にも政治的にも最も例証的なのがEUである。(ただし、政治的には完全に顕在していない。)しかし、その形態と業務範囲は異なっていても、同類の地域連合がラ米、東アジア、アラブ、アフリカと世界中ほぼ全ての地域で見られる。旧ソ連の広大地域においては、CISが加盟国家間の相互作用のためのニーズにもチャンスにも順応していない。とはいえ、ほとんどロシアのせいではあるのだが、依然として顕現されていない積極的な役割へのチャンスはまだまだ十分に残されている。


21世紀のグローバルな世界で、地域的(あるいは大陸的なものでさえ)組織は政治的にも経済的にも重要な部分を担うことになろう。


かくして世界は深淵な変遷をしてきた。こうした変化は場合によっては不穏であり、ある場合は潜在的だった。しかし、変化は続いているのである。最終局面がいかなるものとなるかは、依然として明瞭でないことを再強調したい。人間社会が究極的には人間の特性とニーズに対応し、時代の強烈な挑戦を受けて立つ誠に文明的な発展段階にたどりつくためには、いくつかの条件が満たされなければならない。究極的なもしくは疑問の余地もない結論を求めるということではなく、私は何点かの基本的問題を提言したい。


21世紀のグローバルな世界は、既存の調整手段と、種々の事件がそのニーズを創り出す新たな手段を使って、国際社会が重要問題を解決するために緊密に連携しつつ集団的な行動をとらない限り、カオスの世界となってしまうだろう。


特に世界経済に関していうと、この指摘はより正確には現在支配的であり社会問題の鋭敏さを条件づける類の経済側面について正しい。既存の国際経済組織は、こうした問題にほぼ対応していない。彼らの任務はことなる性格のものだからだ。おそらく、われわれはなにか本当に新しいもの、例えば国際経済安全保証審議会とでもいったものを国連機構のなかに必要としているのではないか。


環境といった重要な問題についてもカオスとなろう。グリーン・クロスとアース・カウンシルは著名な環境学者や宗教指導者と共に地球憲章といったものを作業中である。これは地球上の人々にとって環境の戒律ともいえよう。


地域機関や国連などと相互作用する国際社会の集団的努力は、二国間関係や個々の国家間の協力とは異なるレベルにおかれる。


国際社会の関心とその穏当な均衡に基づいて構築されたこのような集団的努力は、ある程度の世界的プロセスの運営可能性を保証する。特に、経済、金融、その他の非政府的活動の抑制を確立する助けとなろう。この目標は、これら非政府機関の参加を通じてのみ達成しうるものだろう。


世界の通信プロセスの各参加者が考慮に入れられた時のみこれら全てが可能であるということを再強調したい。これらの関心事項を鎮圧する試みや覇権のいかなる形態または一つの大国ないし大国群による支配は新たな紛争を巻き起こすだけである。


国民の利益を定義するいかなる国家もこの問題に現実的にアプローチせざるをえなくなる。他に敵対的な国家利益の誤ったあるいは誇張された解釈は、全てに対する危険をはらんでいる。先ず国益を誤って解釈しその結果として任務も誤る国に対する危険である。


最後に、将来の合理的な政策が思考、良心および政治的な出来事のみならず深淵な開発プロセスと台頭する挑戦や目的を偏らずに分析することも重要である。この見地から、より重要な部分、あきらかに今日よりもはるかに重要な部分をOBサミットのような政治思考の国際的グループが担っていくことになろう。世界の科学的・文化的交流のの役割は過小評価されていると思う。国家レベルで何がなされようと、文化間の対話は不可欠なのである。将来におけるその役割は、今日想像しうるよりはるかに大きいだろう。


世界政策および各国家の政策は、深刻な試練に直面している。感情的なユートピアズムに陥らずに現在と将来の挑戦を考慮に入れ、人類の「ノアの箱船」を荒れ狂う転換期の世界秩序から持続可能な発展地帯に誘導するためにも、ステレオタイプに囚われずに過去の経験に依存することも必要だろう。もちろん、持続可能な発展地帯も決して安泰ではないし、紛争もあろう。だが、もしも政治がその目標と真剣に対応するならば、持続可能な発展は予測可能となり安定したものとなろう。


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