1998 Dissemination of the Universal Declaration of Human Responsibilities in Japanese

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世界人間責任宣言の普及

に関する運営委員会の総括報告


議長:マルコム・フレーザー

1998年3月20―21日

ドイツ、フランクフルト




1. インターアクション・カウンシルの第16回年次総会に向けての準備会が3月20〜21日にフランクフルトで開催され、世界人間責任宣言をさらにどのように普及させるかが検討された。参加者は、同宣言の道徳アピールが世界中の多くの人々に受け入れられるようになるまでには、何年もかかるだろうということを認識していた。カウンシルの目的は、宣言の核心のメッセージを提供し、世界のあらゆる人々が道徳原則を受け入れるよう促すことにある。またカウンシルのメンバーは、宣言文が幅広く承認されるまでにはいくつもの変更がありうるということも了解した。

2. 世界人間責任宣言に対しては賛否両論が見られ、多数の著名な個人および数カ国の政府から非常に勇気づけられる強力な支持(宣言は現在17カ国語に訳出されている)が表明される一方、いくつかの主要西側諸国は道徳原則自体は容認するにもかかわらずためらいがあり、また西側の一部の報道機関は徹底的に反対するなど、幅広い反響があった。

反響に関するまとめ

政府

3. 支持者たちは、宣言はグローバル化の時代に不可欠な倫理基準を設定しようとする道徳アピールであると認識しており、権利を行使するには責任が要請されるということを理解している。フィンランド、ギリシャ、キプロス、ブラジル(ここでは宣言は広く知られており、強い反対もない)の政府、そしていくつかのアジア諸国の政府は、西側の主要な一国が加われば、国連で同宣言を支持する旨を示唆している。 例えばフィンランドは、人権問題について良好な記録を持つ複数の国も共同で支援するならば、国連へ宣言を提出することを検討するとしている。問題は、これらの諸政府が宣言文を編集することができるかどうか、そしてこの責任宣言文が国連に提案された場合に人権宣言の補足文書として討議されるかどうかである。

4. G7のメンバー国であるカナダに働きかけることが提案された。またオランダにもアプローチしてもよいかもしれない。

5. 二の足を踏んでいる諸政府は、人権活動家に対してしかるべき考慮を払っているのであるが、その主たる問題点は、カウンシルが権利に伴う責任の概念の広範な承認を通して人権の概念を強化することを意図しているにもかかわらず、責任宣言は人権問題を弱体化させると誤って認識していることにある。

6. 人権が実現されないのは、往々にして十分な倫理的直観がないことが理由である。政治的意志は、倫理的意志でもあることが多い。倫理的動機は人権実現のためのまさに基盤なのである。多くの国において人権の実現のためには政治的意志と道徳的意志を持った者が不可欠である。ほとんどの場合、人権の実現は責任感に依存するものであり、責任感がなくては人権は地に堕ちる。

7. 西側の一部では、アジア諸国の政府は人権の推進の代わりに人間責任の概念を歓迎するのではないか、と懸念されている。こうした見方は逆作用して一部の西側諸国に悪影響を与えている。ここにはわれわれが何のためにあるのか、そしてわれわれの提案の本質が何であるかについて、大きな誤解があることが示されている。責任の遂行は人権の全面的実施にとって不可欠であるから、われわれが提唱する宣言は人権の推進を促すだけである。そうではないと示唆するのは、誤解というものである。

8. 世界では1990年代に限っても、宗教的、イデオロギー的要素を交えた社会的不公正に根ざす限定戦争が25も起きている。将来はもっと多くの戦争が起きると予測されている。非西側の人々でも、より高みの権威を信じる者は基本的にその心の奥でわれわれと同じような倫理原則、例えば黄金の法則を持っているということを、少なくとも西側の政治的、知的エリートには理解してもらうことが極めて重要である。東西間の衝突を避けたいのであれば、そして西側のエリートが東西間には驚くような一致があるということに気づくことができれば、それは西側にとってプラスになることである。

9. 世界人間責任宣言の元々の動機は、普遍的な倫理基準を確立する必要を世界に理解してもらうことであった。人権と人間責任は相互に補完するものであるということを、全ての人々が理解することが必要不可欠である。

10.米国からのある参加者は、米国民の80パーセントは自分を保守的であると信じつつも、責任の概念が失われていることを認識していると指摘した。米国では自己責任の概念が重要なテーマになってきており、権利を称えるなかで責任をないがしろにしてきたと認識されている。この参加者は、カウンシルが米国にきてこの主題を強調すれば、大きな支持が得られると主張した。

人権活動家

11.国連人権高等弁務官は、人権に関して大きな前進が必要であるということを根拠に、人間責任宣言の導入に疑問を呈した。高等弁務官は、別個の宣言の導入は人権への焦点を拡散させてしまうということを示唆しているようである。これもまた見当違いである。われわれが権利と責任の補完的性質を主張することが重要である。人権活動家の支持を得ることが必要である。こうした支持は、彼らが人間責任の承認は人権の承認を促すものであると理解した程度に応じて得られるだろう。人間宣言の承認が人権宣言を弱体化すると示唆する者は、カウンシルの目的を誤解しているのである。

12.多くの人々が、世界人間責任宣言は政府およびその他の確立された権威の過剰な権力および権威の行使に対する防波堤として企図されている、と指摘した。しかし人間責任宣言はそうしたものとは非常に異なる。同宣言は規則を公布したり、責任を成文化しようとするものではない。それよりも道徳アピールであり、基本的な基準と目標を設定しようとするものである。人間責任宣言は人権宣言と同等であるという言い方が、これら二つの宣言は補完するものというより競合するものであるという誤った理解に導いたのかもしれない。

13.多くの場合に規則とみなされる権利と、倫理基準あるいは倫理目標である責任は、区別されなければならない。人間責任宣言は道徳アピールであり、国際法のような直接の拘束力は持たないが、世界の公衆に対して集団的、個人的行動に関する基本的規範を宣言するものである。同アピールは法的、政治的慣行に対して影響を与えることは意図しているものの、法的な道徳性を目指すものではない。これは人間責任宣言の重要な特徴である。

14.真実性や公平性のような道徳的態度について法成文化することは不可能である。われわれが目指すのは、自発的に責任をとることである。責任宣言は法的拘束性ではなく、道徳的拘束性を持つものである。これらはみな良心の問題であって、法律の問題ではない。宣言は個々人の倫理感に訴えるものである。

15.人権の実現には倫理的直観が必要である。これは、人権宣言が危うくなるのではないかと危惧する人々をカウンシルが説得する際、鍵となる重要な点である。権利の全面的な享受は、人々が互いに対して責任があることを認識してのみ実現されうるのである。

16.インターアクション・カウンシルのメンバーは、それぞれの自国で人権の実現に尽くした政治家世代に属する。カウンシルは(日々の政治活動とそこからくる避け難い政治的駆け引きからの一定の距離感を持って)、人権をさらに強化するための措置を推奨するものである。

報道機関

17.国連事務総長宛てのワールド・フリーダム・プレス・コミッティーからの合同書簡に象徴されるように、西側のメディアは責任宣言を攻撃してきた。メディアのこうした反対の基盤にあるのは、報道の自由という争点である。彼らの関心は、「自分たちが責任をもって書いているかどうかを誰が判断するのか?」ということにある。彼らは、IAC宣言は当局や確立された権力による判断を示唆している、と誤って解釈しているのである。

18.もしメディア自身が責任を持つというのであれば、責任ある報道をしたかどうかは報道機関が判断する、責任感については報道機関自身が決める、そしてこれは確立された権力が判断することではない、ということを明確にするために、宣言の第14章は書き直されねばならない。倫理的直観という感覚を持つためには、この直観は人々自身から来るものでなければならず、権力のためにある、あるいは当局から来るものであってはならない。人権宣言の前言には文章を補足し、人権宣言は人々を権力から守ろうとするものであることを明らかにすべきである。それに対し、責任宣言は良心の発動を促そうとするもので、政府によってではなく、人々自身によって判断されるべきものである。

19.ワールド・フリーダム・プレス・コミッティーを含む広範囲の報道機関との討論が望ましいという示唆があった。しかし一旦カウンシルが、「責任を判断するのは政府ではない」、そして報道機関をそれ独自の規約を有する専門職種として扱うという立場を明確にした時は、公然たる敵対者を翻意させることにのみ努めるのではなく、本来的な支持を得られる所に基盤を築いていくことができよう。

20.第1段階として、5月末にモスクワで開催されるインターナショナル・プレス・インスティテュートの第47回年次総会において、カレヴィ・ソルサ氏がインターアクション・カウンシルを代表してジャーナリストと意見を交換する。偏見のない、あるいは元々同情的な10人の主要なコラムニスト(例えば、William PfaffGeorge Will)を招待することも提案された。彼らによって極端な意見の者は孤立するような雰囲気がつくられるだろう。米国新聞出版業者協会および米国編集長協会は全ての出版業者の主要な集団であり、報道機関の責任、報道機関の倫理についての委員会も置いている。この問題について彼らがどういう立場をとるのか尋ねることは有益であり、また彼らも協議されることを喜ぶかもしれない。

当面の目標の修正

21.責任宣言を人権宣言50周年の決議として採択するよう国連総会に提出するという当初の目標は、国連における討議ということに修正されなければならない。カウンシルは、1998年中の採択に必要な西側諸国の支持が保証されないため、適切ないくつかの国による国連総会への同宣言の提出という形に、当面の目標を修正することを検討すべきである。また宣言文を特別委員会に照会させ、そこから国連総会に報告するという案も検討されてもよいだろう。こうした手続きによってこの宣言とその道義が広く受け入れられることが望まれる。

宣言案の修正

22.宣言文については、特にメディアが抱く正当な懸念を取り除くためにも一部修正が不可欠であると合意された。メディア集団、特に懸念を表明した関係者に対しては、提案された変更の内容および宣言全体の意図について慎重に説明すべきである。また「倫理的直観」については、宣言が「強制された義務」ではないことを明らかにするためにも補足文が加えられるべきである。以下は、提案された修正である。

23.修正1:(提案された修正は、前言の最後に追加条項として加えられる。)

世界人権宣言は、人間の奪うことのできない権利、そして政府および政府機関による権力の悪用からすべての人々を擁護することを呼びかけるものであるが、当宣言は、良心と倫理的行動という論点を呼びかける道徳アピールである。政府は公正で平等なる法について責任があるのは明らかであるが、それと同時に良心に関わる多くの事柄
は、私たち自身が判断すべきものである。

24.修正2:3行目の「shall contribute貢献する」は、「should contribute 貢献すべきである」に変えられるべきである。この段落について示唆された変更はこれだけである。

説明:書き言葉の
shallは義務的でり、遵守を確保するための何らかの手段を設置することを強く示唆する。shouldへの変更はこのような意味合いを取り除く。

25.修正3:第4条:1行目のmustshouldに変えることが提案された。

説明:これらの道徳的および倫理的事柄は何よりも個人の良心に関わるものであるにもかかわらず、
mustという言葉も遵守を確保するための何らかの手段の設置を示唆する。

26.修正4:第13条:最後の文を以下の新しい文に変えることが提案された:
専門職および専門家は、真実性および公正性のような一般的基準の優先性を反映した適切な倫理規約を打ち立てる。

この修正は、内部的な一貫性のため、および専門職はそれぞれの内部規約について責任があるということを完全に明らかにするために提案された。


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修正5:第14条は以下のように変更される:公衆に知らせ、社会の諸制度および政府の行動を批判するメディアの自由は、公正な社会にとり不可欠である。 関係者は責任感と思慮をもってこうした自由を行使する責任がある。

説明:この修正は、提案する宣言とわれわれの意図についての誤解を防ぐうえで極めて重要である。この条項に関しては、多数の人が「誰がこの判断をするのか?」という問いを発している。当修正の目的は、責任の所在を明確にメディア自身に置くことにある。

宣言の推進

28.カウンシルは、国連を全く放擲すべきではないが、国連だけが目覚しい反響を得られるところではない。多くの建設的な考えが表明された。これらの提案は、責任の概念について広範な理解と支持を獲得するために企図されたものである。しかしこのような過程がいかに望ましいものであっても、相当量の資金と常勤スタッフなしでは適切なイベントを組織することはできない。

29.さまざまな国に働きかけ、議会で複数の政党間の議論が行なわれるようにすべきである。

30.カウンシルの目的は、国連、科学記事、外務省、主要な全国紙、大学、その他、 異なるさまざまな分野において議論を引き起こすことにある。多くの場所における討論は核心のメッセージを理解してもらう上で必要である。刺激的な形で論点を提供し、人々をしてこれを読み、批判し、宣言文の改善のために意見を出すべきであると思わせる必要がある。

31.人間責任の概念については、人間の義務国際会議(International Council of Human Duties)――これは科学者によって担われた努力と見なすことができよう――、カリフォルニア大学、ローマ・クラブ、ユネスコなど、 カウンシルとは別のところでにいくつかのイニシアチブがとられている。人の注意はあまりにも多い説教者によって乱されるものであるから、密接な協力とコミュニケーションが望ましい。これらの機関がめざす目標は、それが科学、宗教、倫理、あるいは哲学の分野から来ようと、共通のものに収斂しつつある。責任感は不可欠である、という考えが広く受け入れられるようになる時がやがて来よう。

32.公的な努力を支え、この概念を受け入れるよう人々を説得するには、公衆の教育が必要である。戦略の一貫として10ほどの大きなイベントを開催し、その中でカウンシルが責任の論点について対話を呼びかけることができる。これは少なくとも人間責任宣言を広く公衆に知らせるうえで役立つだろう。うまくいけば責任ある報道機関の支持を得ることができ、それによって政府の行動を促す風潮が醸成されよう。討論のためのこうしたイベントとしては以下のものが提示された:

  • スイス、クラックスのMRA(道徳再武装運動)。多くの裕福な実業家――つまり潜在的スポンサーである――の支持を得ている。
  • 世界経済フォーラムの本会議総会
  • 宗教間の対話集会を開く。これは必ずラジオや新聞で報道されるか、またはテレビで放映されよう。
  • 和解と理解を目的とするヨルダンのハッサン皇太子の基金。カウンシルが当宣言は同基金のいかなる会合においても討論の主題となりうると示唆すれば。
  • いくつかのユニークなコンサート(例えば、ドイツ、ミュンヘンにおいて1999年の聖金曜日に開催予定のマーラーの交響曲第8番のコンサート。これはインターアクション・カウンシル活動の後援基金を発足させるためのもので、1千人の音楽家が参加する)の開催の提案。カウンシルの主立ったメンバーが参加する人間責任についての討論会を、こうしたイベントの前に開くことも可能である。
  • 一人または幾人かの国家元首に宮殿においてこの主題の討論会を開催してもらう。特に王族は、著名なジャーナリストにとっても抗しがたい魅力がある。
  • ハーバードやオックスフォードのような著名な大学と組んで会合を組織する。
  • 政治学者の国際的な集まりなど、他の組織との合同イベント。この種のフォーラムでは、アジアからの参加者には責任について、人権活動家には権利について限定して話してもらい、中立的な第三者にコメントしてもらうということもできよう。プレスの参加を望むのであれば、何らかの論争が不可欠である。
  • ネルソン・マンデラ大統領に宣言を推進するためのスピーチをさまざまな場所でしてもらう。
  • ヨーロッパの実業家の肝いりによる会議をバーデンバーデンで開くことが可能。信念はあっても必ずしも宣言に対する支持を明確に表明しなくてもよい現役の政治家も招待する。
  • イランが後援するキプロスの基金が会議の開催に関心を示すかもしれない。この基金は、世界の諸宗教間の対話を組織したことがある。
  • カウンシルに代表を送っている国の美術品を集めた展示会。カウンシルの考えを宣伝するイベントにすることができる。
  • 1999年7月、ワシントン市で開催予定の50万人参加の大規模なサミット。カウンシルがこの種の対話を導入できる一つの機会かもしれない。
  • 提案の文書に非常な賛意を持つある米国の企業家は、ドキュメンタリー、プラハ会議やウィーン会議のような国際会議、ネットワークのニュース・ショー、地域会議等を推奨している。

資金供給

33.カウンシルが上記の路線を追求するには、これらのアイディアを効果的に促進しうる高い資質を持つ常勤の専門家をおいた事務所を運営できる十分な資金が必要である。カウンシルは、具体的提案を実施するための3年計画をまかなう資金を調達するよう努めるべきである。事務局長に状況を探る任が与えられたが、他の者全員の協力が不可欠である。諸提案を文書化し、潜在的な後援者に対して、プログラムの資金を保証してくれるかどうか当たってみる必要がある。アイディアは金がかかるものである。しかし良いアイディアについては資金は見つかるものである。



参加者

ヘルムート・シュミット、名誉議長

マルコム・フレーザー、議長

アンドリース・ファンアフト、メンバー

クルト・ファーグラー、メンバー

宮沢喜一、メンバー

カレヴィ・ソルサ、メンバー

ヨルゴス・ヴァシリウー、メンバー

フローラ・ルイス、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン

ハンス・キュング、チュービンゲン大学

宮崎 勇、事務総長

イェンス・フィッシャー、シュミット元首相元アドバイザー

招待参加者


アミタイエッジオーニThe Communitarian Network 創立者

セルジオ・パオレッティICHD(人間の義務国際会議)事務局長

ベネッデット・デ・ベルナードICHD(人間の義務国際会議)創立者

 

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