. 1993 Bringing Back Africa to the Mainstream of the International System in Japanese |
「アフリカを国際システムの主流に戻そう」
専門家グループによる結論および提言
議長:キャラハン卿
南アフリカ、ケープタウン 1993年1月21−22日
|
||
1.アフリカの経済状況とその全体的な生活水準は、1980年代は厳しかったものの、ここ数十年間でかなり改善されてきた。しかし、世界が日々前進する中にあって、アフリカだけが遅れをとっている。さまざまな統計がアフリカの衰退の激しさと現在の危機を強調している。人口は23年ごとに倍増しているにもかかわらず、食糧の生産量は30年ごとの倍増となっている。教育の機会が与えられない人口は30年前より現在のほうがはるかに多い。アフリカは、1960年には需要の107パーセント相当の食糧を生産していたが、今日では78パーセントとなっている。大陸そのものが、純食糧輸入の体質になってしまったと言えよう。カロリーの平均摂取量は、健康を保つ上で必要な量を満たしておらず、人口の3分の2にあたるアフリカ人が安全な飲料水の供給不足に悩んでおり、半分以上が保健サービスを利用することができない。アフリカ諸国のほとんどが、経済の復興を阻む原因となっている周期的でしかも長期におよぶ干ばつ、砂漠化、洪水など、過酷な気候条件に苦しんでいる。成功物語として注目に値する国々もいくつかあるが、問題を抱えたり、経済の復興に苦闘している国々の方が圧倒的に多い。この結果、経済や社会がわずかながら発展し、政治は民主化の波に乗っているにもかかわらず、アフリカは国際システムの片隅に追いやられてしまった。しかしアフリカは、土地、水、原材料、エネルギー、鉱物、人材など莫大な資源に恵まれた豊かな大陸なのである。 2.こうした過程において、「アフリカたたき」は西側メディアによる報道のほぼ恒常的特徴となっている。アフリカに関する好ましくない表現は、大陸全体を「同一化」させ、不正確で歪んだ印象を与えている。アフリカがメディアの注目を受けるとなれば、多くの場合、飢餓にある子供たちや西側の慈善的行為による介入など、決まりきった形での報道に片寄っている。これは非現実的である。アフリカの豊かな多様性と真の潜在能力を表現するものではない。 3.40年前には、アジアとアフリカの生活水準に大きな差異は見られなかった。両大陸とも様々な植民地体験を経て独立している。現在では、アジアはアフリカよりはるかに速いペースで発展を遂げている。なぜか。アジアの一次産品の世界価格はアフリカの場合と同様低下しているものの、アジア経済の多様化が速かったためにアフリカ程の打撃は受けていない。東アジア地域の急速な発展と先進国経済の入り口に立った要因として、主に次の三つがあげられる。まず、海外からの技術と投資を十分に吸収し得るだけの能力を持つ労働力と管理職層を育成した教育である。次に、「緑の革命」が食糧の自給自足と農業の多様化を可能にし、後には軽工業と先端産業の多様化に導いた農業開発である。最後に、国内および海外投資の促進と国際競争に重点を置いた経済政策を積極的に導入したことである。 4.民主主義の慣習と自由な政治が元来存在していなかったにもかかわらず、アジアの経済は発展した。多くの場合、経済開発と企業家精神を奨励する制度を通して政治的自由への圧力が加わる。アフリカ諸国もその生産的エネルギーを放出させうる、彼らのニーズや慣習に見合う民主主義制度を確立する権利を持つ。アフリカの人々は権威主義による安定ではなく、民主主義的表現と持続可能で公平な経済成長による安定を求めるべきである。アフリカにおける独裁主義への媚びまたは支援は直ちに排除されるべきである。 5.アフリカ問題に対する国内外の政治的また経済的対応は不十分であった。このような対応はその場しのぎで、断片的であり、大部分が無調整であった。持続的な行動やコミットメントで達成されたものはほとんどないと言ってよい。開発とは単なる経済成長ではなく、均衡のとれた社会および経済の発展を指している。経済成長と所得配分に大きく重点を置いた政策が選択され、適用されなければならない。人的および物理的要因も相互に補足されなければならない。 6.単なる経済問題のみならず、歴史的背景を考慮に入れなければ解決策を求めることは困難であろう。多くのアフリカ諸国が「国家」という概念を理解するようになったのは極めて最近になってからのことであり、古くてもここ30年から40年前のことである。この概念は正しいのだろうか。民族、地域、宗教、人種、階級の利害問題は多くの国々で鮮明な意見の相違や紛争の原因となっている。富める先進国、そしてアジアや中南米の開発途上国でも経済的に成功している国々には、しばしば何百年もの長きにわたる国家の歴史がある。 7.アフリカの地図は植民地時代に端を発した根拠のない国境の遺産である。多くの紛争が発生し、不公正も認められる。紛争の解決や阻止は民主的な方法で達成されることが望ましい。民主主義なくして安定の可能性は低下する。安定なくしてアフリカ諸国の経済発展は一層困難なものとなろう。 8.開発を成就するという政治的意志と断固たるリーダーシップによって、アフリカの現況を改善することは可能である。 9.衰退するアフリカを救済し、国際システムの主流に戻すためには、その他の諸国の成功例と失敗例からどのような教訓を学びとればよいのだろうか。以下の四点に行動を集中させなければならない。
10.国民の安全保障およびそこに内在する個人、国民、集団に対する物理的、心理的危険性に優先的な注意を払う必要がある。人々は、安全な環境下でのみ民主主義の精神で自由意思を働かせ、エネルギーを発散し、人権や市民権を享受できる。選挙によって、政府の代表を選びまた交代させる能力のある民主主義は、人類の自由にとって最良の安全手段である。このような環境は、安定性をもたらし自立への過程として開発を促進する。安全、安定、開発および協力は相互に関連し合っていることから、各国政府は民主主義に基づいた制度を推進するために広範な手段をとらなければならない。「アフリカ統一機構(OAU)」の首脳会談に提出された「安全、安定、開発、協力に関するアフリカ会議(CSSDCA)」の提案は、真剣に考慮され奨励される価値がある。 11.アフリカ問題の一つに、人々が開発は西側諸国の経験に照らした外国のものであるととらえ、自らを生来無力であるとみなす状況に追い込んでいることがある。アフリカは、現存の伝統的組織や機構は先進世界のそれとは対極にあると確信するようになった。植民地宗主国は、こうした組織を独立以降のアフリカよりもはるかに巧みに利用した。結局、アフリカはいまだに人々の可能性を完全に認識していないのである。ある意味で彼らは、自らの力で安全保障、関与、開発の組織を維持することができなくなっていると言えよう。こうした状況を逆転させなければならない。 12.人々のエネルギーを発散させるためにもアフリカは、固有の価値、文化、アイデンティティ、構造を取り戻し、より自信をつけ、人々が自ら判断する力を構築し、彼らが抱く大きな恐怖心を取り除き、また自らが考え行動する能力を開発する必要がある。開発は外部の手によってなされるものでなく、またそうみなされるべきものでもなく、内部から発生するものなのである。 13.ここにジレンマがある。小規模な存在を国家さらには地域単位へと拡大したいという願望がある一方で、家族、種族、集団といったより小規模な社会の単位は、個人に対しアイデンティティ、安全保障、所属意識を植え付ける意味において必要不可欠であるという、相反する認識がある。このような要素を一致させなければ、国家開発の有効性は損なわれるであろう。 14.人権を保証し、また民主主義を政治家に全面的に委任しない方向で市民社会の根を張らせるという核心的価値に基づき、合意を形成しなければならない。寛容な文化に支えられた市民社会は、安定した民主主義制度を構築する重要な基本的ネットワークである。 15.民主主義の真価や文化の持続可能性の主流を成すのが、政治や経済に参加するという概念である。このような参加の枠組みは、村落レベルから始まり、非公式部門、小規模産業およびその他の産業に拡大して行く中で構築される。こうした計画の受益者は、彼らの経済的福利を左右する意志決定過程に発言権があると考え、また確信しなければならない。これは4年ごとの選挙よりかなり重大なことである。民主主義をアフリカで維持していくためには、国民および国家の手でこれを育て守らなければならない。これは外部から強制されてはならない。各国政府は、経済および政治の変化する過渡期に国民が参加する度合いを一層高めるために、思い切った手段をとるべきである。 16.戦争、先制君主体制、暴動、広範囲に及ぶ汚職などは、各国の経済が後退し、貧困がさらに悪化し、国内産業が停滞し、国際民間投資が引き上げられるという状況を端的に示す指標となっている。民主主義は文化である。これは与えられるものではなく、まして一夜にして獲得しえるものでもない。民主主義の成長の速度は国家によって異なる。一国の民主主義の形態は、国民の文化の中から発生しなければならない。西側諸国とは根本的に異なる社会において、基準となる模範も、青写真もないのである。 17. しかし、民主主義の原則は普遍的である。その原則とは、正しい統治、信頼性、独立した司法制度、法による統治、公開性と透明性、人権と基本的自由の遵守、報道の自由、市民社会における自治組織の役割、選挙による指導者競争、軍隊による文民統制と秩序ある無血の政権交代などである。もし国家がこれらの原則を満たしているならば、いかなる形態をとろうとも、民主主義国としての資格を有する。民主的な機関を設立し、民主主義の実践に形を与え、形成していくこともまた、同様に重要である。そのような理想を追求する方法は明らかに社会によって異なり、アフリカはその実現のために、適切な構造を通じて独自の機能的な方法を開発しなければならない。さもなければ、例えば、確かな枠組みを造ることを口実に政権闘争や権力闘争を続ける原理主義者の強力な影響により、新たな不和の種がまかれるかもしれない。 18. 民主的な文化や慣行を育む必要性はいくら強調してもし過ぎではない。伝統から引き出す妥協という観念は、特に競合的民主主義に関していえば、政治の世界に注ぎ込むことができる。敗者を辱めず、役割を与えることで受け入れるという伝統的習慣は、国家が直面する問題をわかち合うという観念と同様に、勝者、敗者の双方が尊重しなければならない。 19. 選挙は民主主義を現すものである。少なくとも公明性、票の集計の正確さ、投票の自由ということに関しては、国際的監視が選挙の結果に正当性を与えるだろう。しかし、選挙の不正は政党の登録と投票から始まるのである。選挙後発生する危険を無視することはできない。監視者が立ち去った後に選挙の結果が解明され始め、論争されることになれば尚更である。アンゴラで選挙の後に起こった問題には落胆させられる。選挙で勝利をおさめたアンゴラ政府は、国際的に認知されるべきである。ベニンやブルンディのように民主主義への移行に成功した例は、奨励されるべきである。国際機関は、今後、選挙を単なる一過性のものとみなしてはならない。むしろ、選挙を開発の基礎を築くための一つの過程であると考え、したがって、今後は選挙の前後、長期間に渡って滞在する必要があろう。それにより、選挙管理を開発計画および技術援助計画の活動に統合させることができるはずである。今後数カ月のうちにこの教訓をモザンビークと南アフリカで生かすべきである。 20.人々に情報を伝え、政局運営能力、民間部門の活動、社会の開発等について批評するために、報道の自由は不可欠である。報道の自由はいくつかの概念を示唆する。すなわち政治的介入と検閲からの自由、反対陣営が報道へのアクセスを持つ自由、侵害されることのない個人の表現の自由等である。 21.市民団体、圧力団体等の自由な結成を促進させるとともに、自由な労働組合の組織化や活動を育成する必要がある。 22.民主主義は他にも危険を伴う。アフリカにおける民主社会への現在のはずみは、民主制度に対する正確な理解が欠如すれば、民主主義に対する幻滅や不信感を招く結果をもたらすかもしれない。これは単に、それだけでは民主的自由や発展する市民社会を保証できない多政党政治や、投票の自由を意味するわけではない。外部の世界を満足させるために選挙を急ぐことは、民主主義の本質と精神を破壊するという危険を招く。したがって、民主主義における義務を表面的に満たすためだけの選挙では不十分である。そのような選挙は多くの人々に不満を残す。選挙後の政府の行動にも注目しなければならない。 23.同様に、民主主義政府は、国民全てに経済成長と繁栄を保証することはできない。アフリカの民主化プロセスに対する危険の一つには、集団的な気の短さがある。もし、高いインフレ率、生活水準の低下、失業といった条件の下で失望が蔓延すると、人々は民主主義を非難し、すでに放棄された制度や方法に未練を見せる。従って民主主義とは、常に闘い、勝ち取っていくものなのである。 24.軍事的干渉と軍事政府の樹立は、アフリカの民主主義にとって大きな障害である。軍隊的精神と軍事力が民主主義プロセスに侵入すると、いかなる口実が使われようとも絶対に阻止されなければならない。 25.市民への民主主義教育は、小学校に始まり、中学、高校、大学に至るまでの学校教育に必須とすべきである。学校は、民主主義の原則、その文化や寛容さを教え込むことを目標とすべきである。 26.現在、アフリカには政党間の地域的ネットワークがない。同じ思想を持つ政党がそれぞれの経験を相互に交換し合うことができるので、このようなネットワークは望ましい。これによって民主主義の精神が強化され、理解が深まり、連帯感が生まれる。政府は、国家レベルにおいて小規模な民主主義政党を威嚇し、破壊することはたやすいと考えるかも知れない。しかし、民主主義政党がより広範囲に広がるアフリカ諸国のネットワークの一部であれば、ある程度の擁護を受けることができるだろうし、国境を越えた大衆の注目を集めることができる。 27. 経済開発の探求には、いくつかの異なった分野における行動が必要だが、全ての分野が政府の全面的な管理下にあるわけではない。 28. 現状にあっては、アフリカにとって経済政策を正しい路線に乗せることが、最重要事項である。国や地域間で差はあるものの、普遍的に適用しうる経済的成功のためにはいくつかの要素がある。健全で安定した経済環境がその鍵であり、快適な環境、効果的な教育制度、安全、法律の下での統治なども必要である。管理者や事業家としての経験も含む、適切な技能を持つ労働力を十分に供給することも確実に役立つ。財政および金融政策も、健全で予測可能なものでなければならない。それらは全くの政治的ご都合主義で採用されたり、犠牲にされてはならない。 29. アフリカの経済を成長軌道に乗せるには、努力を持続させていかなければならないが、往々にしてそれには復興計画を上手に応用することが前提条件となっている。経済戦略は、現地の条件に則ったものでなければならない。それは住民に十分に説明がなされ、十分に理解されたものでなければならない。衰退を好転させるために、アフリカの指導者達は、農業、貿易の拡大、国内貯蓄の増加、民間部門と公的部門の間の均衡の改善、この4つの主要な分野に注意を集中させなければならない。公的支出を抑制し、政府にあまり依存してはならない。異なった経済部門間で均衡をとることが必要である。工夫を強調し、科学と技術を適用させれば、比較優位は向上する。経済的、政治的再建を同時に体験している国は、利益闘争や論争に直面し、それらを解決していかなければならないだろう。 30. 開発を促進するために、各国政府は民間部門を開発、拡大するよう奨励しなければならない。投資家の興味を惹くのは安定性と予測性である。国内投資の条件が満たされていない限り、外国投資はアフリカを回避していくだろう。外国の投資家は資金を投入する前に、まずその国の投資家がどのように投資しているかを調べようとする。規制と官僚制度によって、投資家と商社は躊躇している。特に投資家に対する法的あるいは金融面での保護に確信を持てないときにこの傾向が強い。従って、アフリカの開発は大部分が、国内の民間投資と外国からの投資、また双方から直接投資を得るための適切で好ましい状況を創出することにかかっている。 31. アフリカは、信頼しうる行政、立法、金融機関を含む、持続可能なインフラストラクチャーを設置する必要性に迫られている。アフリカ諸国の多くは、安定し、透明で予測できる法的環境を、すでに失っているという事態にいたっている。 32. 政府開発援助(ODA)は、特に教育や健康といった政府が本質的に責任を負う部門で物理的なインフラストラクチャーに資金を供給し、国民を支援しうる。 33. 貯蓄に保証を与えることも重要である。国民にとって身近な仲介金融・銀行機関は、貯蓄を活性化し、信用需要を供給するにふさわしい。他方、多額の債務返済の負担は、貯蓄と貯蓄能力を妨げる。 34. 人材、および科学・技術に投資しない限り、経済開発はありえない。基本的な人的資源、すなわち教育、保健、人的資本への投資に主眼が置かれなければならない。 35. 開発において教育は重要な役割を果たす。しかしアフリカの教育制度は、国際的な本流から遥かに劣る質的低下に直面している。教育は国民を貧困から救い上げる主な道であるため、教育への投資を強化しなければならない。 36. アフリカで公的部門の企業を民営化する際に、管理および行政技能を開発する必要性が生じることは明白である。同様に、政府組織もまた、政策分析や開発管理に精通している熟練した職員を置く必要がある。アフリカ全土にある既存の管理機関は、ネットワーク作りに乗り出すべきである。援助供与国は、奨学金制度等の方法を使って民間および公的部門管理の研修をアフリカ諸国に提供するべきである。 37. アフリカは、変化する状況を予期し、事前に計画を立て、速やかに対応し、順応する能力に欠けていることから、事件の発生に驚いたり、不意をつかれたりする。しかし、ヨーロッパだけでも7万人ものアフリカ人の専門家や熟練者がおり、海外への頭脳流出が激しい。彼らを呼び戻す方策を展開する必要がある。 38. 復興および開発のための様々な計画に資金を提供するためには、国内貯蓄を増加させる必要がある。アフリカは投資のために国内貯蓄を動員させるよう、国内に目を向けなければならないが、最後発開発途上国にとってこれは困難である。これらの国に対しては、貯蓄形成以上の投資額を認めるべきである。アフリカはアジアや東ヨーロッパと外国資本の新たな資源を巡って競わなければならないので、アフリカの中でも最貧国は援助がなければ全てを失ってしまう。そのために彼らは製品やサービスの輸出で外貨を獲得し、国内貯蓄を強化させなければならない。より多くの資金源を利用できるようにするために、国際社会による呼び水政策が必要となる。 39. 今後のアフリカ開発の中心的要素となるのは、民間部門の開発だと提唱されているにもかかわらず、多くの優秀なアフリカの民間部門のイニシアティブは、資本が十分でないことから不成功に終わる運命にある。国家レベルでは、開発金融公社は任務遂行には力不足であることがしばしば明らかになった。地域および地方開発銀行は、アフリカにとって財政源を動員させる方向への舵取り役となるかもしれない。 40. アフリカのサハラ以南地帯に住む5億人の内、70パーセントが農業で生活している。しかし、一人当たりの農作物生産高はほとんど伸びていない。アフリカが現在食糧の自給ができず、経済を損いながら食糧輸入をしなければならないのは不条理である。都市部の住民の利益のために低く抑えられた食糧価格は、農民が食糧を増産する甲斐があると思えるような水準まで引き上げられるべきである。アフリカの一カ国だけが自給自足できればいいというのではなく、全ての国に対する食糧の安全保障を目指すべきである。アフリカで「緑の革命」を成功させるためには、農民が常に融資へのアクセスを持ち、適切な研修や技術と同時に、種や肥料といった物の定期的な供給を受けられることが必要である。完全な構造にはコミュニケーション網や、適切な市場施設も含まれる。アフリカのほとんどの農村部には、こういった施設が欠如しており、これらのことに注意を向けなければ「緑の革命」は成功しない。 41. 構造調整計画の中で、雇用はほとんど放置されてきた。小規模農家や企業に対する援助も蝕まれてきている。アフリカ全土に貧困が蔓延し、それを絶滅することが最優先課題であることから、生産的雇用に重点を置かなくてはならない。主として世界規模で競争する必要のない地方市場向けに、生産を行う部門から着手すべきである。雇用を伴わない成長は発展ではない。 42. 汚職がまかり通っているのはアフリカだけではない。しかし、アフリカでは、汚職は政府および民間部門双方において、社会のあらゆるレベルで文化土壌に染み込んでいる。アフリカ人が先進工業国の消費者社会について知ることにより、願望とそれを現地で充足させる能力との間の格差に気づく。これが汚職の温床となっている。汚職は開発と近代化にとって真に深刻な障害であるため、これを抑制し、排除しなければならない。 43. 冷戦の終焉後、相互依存度が増大したはずであり、西側諸国にとってアフリカ諸国を支援するのは自国の利益につながる。アフリカが抱えている問題への取り組みにアフリカ以外の国々を参加させるにはどうすればいいのだろうか。さらに、どうすればアフリカは、国際的な場において長期的開発に有利な状況を創出することができるのだろうか。これは単に有利か不利か分からない環境を、完全に利用するということではなく、富める国々や諸機関からの注目や資金が集中されるべきアフリカの優先的ニーズを明らかにすることでもある。 44. 対外債務の問題は、国民の目からは逃れてもアフリカの開発にとって未だに重大な障害となっている。アフリカが抱える債務の65パーセントは公的債権者からの借入である。アフリカのいくつかの国の主な債権者は、世界銀行、国際通貨基金(IMF)、アフリカ開発銀行(AfDB)といった国際機関である。アフリカの債務総額は1992年には2900億米ドルと、絶対値としてはさほど多額ではない。しかし、アフリカの対外債務は1980年から2.2倍増加しており、年次債務返済額は現在260億米ドルに達し、サハラ以南の国々では116億米ドルである。他の地域と比べると、ほとんどのアフリカ経済にとって、この事実は非常に重い負担である。多くの国で今、債務残高は国家の年間国民総生産を上回っており、債務元利の定期的返済を行う能力もないことから、延滞金がかさむ原因となり、これが外国からの直接投資を妨げている。 45. 特に公的債務については、特別な債務救済策を正当化することもある。それは単に慈善事業や、不経済な事業ではない。債務を贈与金に転換させたり、金利やその他の様々な条件に上限を課す等の、種々な仕組みが考案されている。G−7諸国は1980年のトロント提案で低所得国の債務の約5割を帳消すことを申し入れたが、規模と効果において不十分であることが判明した。トリニダード条件はより寛大なものであったが、抵抗があったため未だ着手されていない。先進工業国政府はトリニダード条件の完全な適用を開始すべきである。それでも世界銀行とIMFへの債務は、リスケジュールや帳消しからは除外されている。しかし今やそれらの債務は、アフリカにとって重要な問題となっている。世界銀行とIMFの反応は、優先債権者としての立場を維持しなければならないので、自ら債務救済はできないというものである。アフリカにおける特殊な状況と、他の方法で経済回復を刺激することの困難さを鑑み、両機関が債務救済を提供する時期が到来したかどうかを決定するのは、両機関をコントロールしている先進諸国政府である。 46. 債務問題は、金融だけではなく運営上の問題でもある。債務の軽減や免除があっても、広い意味での運営問題に対処しない限り、アフリカの経済状態は驚異的に改善されることはない。従って、債務の救済や帳消しにあたって先進国がアフリカ諸国の運営における効率性の改善に関して一定の条件を付けることには、十分な根拠がある。 47. アフリカは、国際貿易の市場シェアを失いつつある。過去20年の間に、世界の輸出におけるシェアは14パーセントから6パーセントに下落した。アフリカが外貨獲得源として依存しているコーヒー、ココア、紅茶、鉱物等、一次産品の世界価格は長期的な下降線をたどり、先進工業国の不況により需要が減退したことによって、さらに悪化した。外貨を獲得するためには、アフリカ諸国は現在年に1パーセントでしかない輸出成長率を伸ばしていかなくてはならない。外部からの財政援助や債務救済は、輸出成長を通じて得る外貨を代替しえないのである。その過程において、伝統的な輸出品に関して失った市場を再び獲得し、非伝統的な産品の市場も征服する必要がある。多様化と、マーケティングおよび貿易振興の新しいアプローチを、徹底的に追求しなければならない。現在、政府間で通商協定を締結する伝統的な方法は、限定的な機会しかもたらさない。アフリカ諸国とその商業関係者は、将来、国際通商交渉に実質的に参加しなければならない。 48. アフリカの貿易はその全てを北側に依存しているわけではく、大陸内の貿易にはかなり拡大の余地があり、特に地域的・準地域的な機構や組織に関しては、大いに促進を図るべきである。 49. 貿易自由化に関する世界的合意は、アフリカ諸国に利益をもたらす。GATTのウルグアイ・ラウンドは長引いているが、アフリカにとっては貿易促進となることから、これ以上の遅延なく締結されなければならない。しかし、GATTは貧しい国々に特別な優遇措置を認めてはいるが、全ての国が貿易自由化によって直接潤うわけではない。利益を受けない国々に対しては、他の方法が認められるべきである。それにもかかわらず、全般的に貿易による収益は、いかなる援助金よりも重要である。 50. 多くのOECD諸国が、東および南の国々における補助金撤廃、規制廃止、民営化、自由化を主張しているが、自ら提唱していることを実行しているわけではない。これは、OECD諸国間においてさえも深刻な問題となっている農産物貿易に関して特に顕著である。国際経済史上初めて、国際貿易自由化への圧力が自由貿易に昔から賛同しているOECD諸国からではなく、南の方から加えられてきている。G−7諸国は自己の利益に近視眼的な焦点をあてているが、不均衡な自由主義に蹂躙されることのない活気のある国際貿易環境があれば、アフリカ諸国の経済政策は強化されることを忘れてはならない。 51. ほとんどのアフリカ諸国には、現在の組織を変えない限り、健全な経済的未来はない。国境を引き直さなくても、資源をプールする地域協力を区分けすることは可能である。アフリカは「バルカン化」の影響を克服しなくてはならない。より効果的な統合を図らなければ、アフリカは世界的な役割を演じたり、国際経済活動の中でより大きなシェアを手にすることはできないだろう。世界各地で経済ブロックが形成されるにつれて、個々の国が自分の力だけで繁栄することはますます困難になっていくだろう。国際社会は、アフリカが実行可能で効果的な地域・準地域的組織を開発し、後にはそれが地域市場に発展していくように支援しなければならない。アフリカ経済共同体の計画は空想ではない。 52. 理想主義を高く掲げ、重々しく宣言したにもかかわらず、これまでのところ地域的な経済統合の試みは、はかどっていない。これには主権の問題が立ちはだかっている。主権の要素をいくつか放棄し、地域ベースで共同作業を行わない限り、アフリカの長期的統合は困難であり、資源も含めた相互の利点を結集させることは、更に困難となろう。 53. 全ての援助供与国がアフリカに対する援助を増加できたわけではない。過去に増加した国も、今は躊躇している。総額ではODAは年間550億米ドルを上回っているにもかかわらず、全般的に、援助供与国のGNPにおけるODAの比率は減少している。矛盾したことに、アフリカ大陸は天然資源に恵まれているにもかかわらず、ますますODAに依存している。こうした援助はますます経済的、政治的条件と結びついてきており、これは純粋な意味で受領国の主権を侵害する。しかしながら、アフリカを国際システムに組み込めば、必然的に外部からの関与を受けることになる。その上、冷戦の終焉で、多くの援助供与国が援助計画や政策を綿密に再検討している。従来の方法や、援助額は継続できそうにない。アフリカは、将来における援助計画を容易なものと期待してはいけない。計画として存続するものにはより厳しい条件がつくだろうし、より効果的ではあっても総額は控えめなものになるだろう。 54. 1980年代初期から、条件づけは援助や種々の公的信用の一般的な特徴となってきた。そのような援助を受けた場合、結果的に主権国家の政策立案はある程度犠牲になる。援助の条件は、契約を締結するための論理を踏まえている。これはますます、援助供与国の有権者が指導者に求めるものと同じ水準を遵守させようとする、政治的な条件に関連してくる。健全な経済開発は、広い意味での民主化と、人権の尊重に密接に関係する。そのような政治的条件は、受領国の国民から出される要求を基本的に反映するものである。しかし、アフリカ各国政府は、自国民を寛大に扱い、汚職を抑制するように他の国から言われなくてもよいはずである。アフリカの指導者達には、自らこれを行う義務と責任がある。新たな条件は非民主的、独裁的、かつ堕落した政権にとって、援助や支援をあてにできなくなるという警告となろう。 55. 各国政府は、もし一定の条件が満たされない場合は、資金を保留する権利を持つ。しかしそのような政策は、透明性があり関係者すべての十分な理解を得ており、同様の状況に一貫して適用されなければならない。援助供与国の中には、自国での政治的プロセスや人権の著しい無視に目をつぶったものもある。ダブルスタンダードは絶対に回避しなければ、システム全体の信頼性が崩壊する。何の意味も持たず、受領国側の国民の論争の的になる政治的条件の合法性は、国際金融機関の場合にはさほど明白ではない。彼らの任務は、プロジェクトであろうとプログラムであろうと、経済条件を立案し、それが遵守されることを見届けることである。政治的条件は、各国政府により付与されがちで、従って二国間援助に多く見られる。 56. 援助供与国は援助の決定に際し、軍事支出に一層の関心を向けている。過剰な軍事支出は、特にアフリカでは、貧困に喘いでいる国々に衝撃を与えるだけの力を持つ。それは国家の開発、安定、安全保障に害を及ぼすことが証明されている。軍事支出は、国の安全保障上のニーズに関連した見地から考えられるべきであり、アフリカの指導者達は、膨大な軍事支出は見せかけだけで、真の安全保障を与えるものではないということを認識しなければならない。真の安全保障とは、国民の福利と福祉、国民が自らの仕事に携わることができる機会、そして社会と一体感を持つことなのである。このため、GDPの2パーセント以上を軍事に費やしている国に対しては、ODAが与えられるべきではないと提議された。他方、その上に武器を供給している援助供与国は、武器輸出の量、出所、目的地を登録する責任を果たすべきである。 57. アフリカの多くの国で、軍事支出と安全保障にはつきものの秘密主義は、汚職と公権の乱用を生む。したがって軍事支出に関して、アフリカ各国政府は公開性、透明性、責任の所在を明らかにする等の義務を負う。しかし現在、開発途上国には公的支出の種類と水準に関して、信頼できる統計的な情報はほとんどない。開発途上国が公的支出に透明性を導入するために支援するよう、世界銀行とIMFに対して要請すべきである。これらのデータが利用できれば、軍事支出に注意を喚起し、これを削減することができるかもしれない。 58. 究極的には、投資、信用政策、債務政策、貿易、技術の譲渡、援助等の相互関連のある分野で、先進国の政策に一貫性を持たせることが望ましい。欧州共同体とアフリカの間で最初にロメ条約が合意された時と同様に、地域間での開発契約を行うという概念は、強力に支援されるべきである。このような契約には、恒常的な期間延長が必要である。今日では、これらの契約は、国際的および国内的な問題を幅広く包括し、一方的ではなく相互的な条件に即したものとなりうる。これはまた、新たな援助の形態ともなるのである。 一.アフリカにおける主権と介入の権利 59.主権の概念を再び見直さなければならない。一国の国内問題への介入は正当化されえないという状況と、国際社会がそれに関係することは正当化されるという対極にある状況とを区別する必要がある。 60.国内紛争、地域的暴動、その他様々な社会的変動がしばしば誘因となって、無数のアフリカの一般大衆が、人道的悲劇の犠牲となっている。その結果、これらの人々は人生において基本的に必要とされる物、例えば食料、住居、衣料、身体上の安全保障、基本的保健、家族の統合などに欠乏している。このような悲劇的受難のいくつかは、暴風、洪水、地震、環境破壊などの自然災害が原因である。しかし、これまで最も破壊的で時として修復不可能であったのが、政治的・文化的分裂や対立、すなわち人災に起因している。 61.このような災害に巻き込まれた人々に緊急支援を供与するという道徳的・法的義務は、第一に当事国政府にある。自然災害の場合、当事国政府はしばしば国際機関の協力のもとに、通常必要とされる緊急支援を早急に動員し供与する。しかし、当事国政府が完全に崩壊したり、体制が一部崩れたり、さらにはそれによる影響を被った人々が敵対者として扱われることも度々ある国内紛争の場合、当事国による支援活動は絶望的であり、国際援助の供与に対する積極的な対応も保証されえない。従って、今後も引き続き人権は侵害されるであろう。 62.今日のマスコミへのアクセスやNGO活動の拡大は、国際世論の圧力が道徳的・政治的基盤に基づいた人道的活動に対する国際社会の要請をますます高めるという状況を作り出している。 63.そこで、国際社会に対して次のような批判的疑問が生じてくる。つまり、いかなる状況のもとに、人道的受難の度合いがどれくらいの時に、誰によって、どのような活動メカニズムを通して、いかなる適格な目的を持つ国際活動のいかなる形式を正当化すべきだろうかという疑問である。このことは原則、組織の枠組み、活動方針、このような介入の正確な目的を明瞭にすることを意味している。 64.原則を明確にすることによって、介入の引き金やそれを正当化するガイドラインもしくは基準が設定される。組織の枠組みは、誰が介入決定の口火を切るか、さらには一旦それが承認された後、誰が活動を指揮するのだろうかという疑問をもたらす。活動問題そのものに関しては、軍事力もしくは文民力の行使や、活動の準備もしくは訓練に関する疑問が生じる。目的の問題については、短期的に必要とされる緊急支援の供与で活動を中止すべきか、あるいは公的もしくは文民秩序の自己維持体制を再建させるためにも、危機の原因を明らかにするところまで展開すべきかという疑問をもたらす。 65.人は、国際社会が傍観したり凝視することのできない人的災難の境界線をいかに定義すべきであろうか。以下に述べる項目は、今後の人道的非常事態に対し各国政府および国際機関が担うべき活動基準の枠組みである。 第一、主権および国内問題への非介入の原則を国際社会は再確認し支持すべきである。国内における人道的悲劇を明るみに出す責任は、第一にそして全面的に当事国政府にある。 第二、主権は絶対的なものではないが、領土および国民に対する確固たる義務と責任、国際法に守られた主権を正当化する責任ある管理を必然的に伴うものとみなさなければならない。 第三、多大な被害を受けた多くの人々に対する基本的な義務と責任の遂行を怠ったということは、必要とされる保護や援助活動を行う国際社会に権利と義務をもたらすということにつながる。この問題に関する意志決定を容易にするためには、相対的に的確かつ遵守すべき基準条件や、誰による侵害が国際社会の反応の引き金となるかを定義する必要がある。このような基準の設定そのものが侵害の効果的な抑止となりうる。 第四、アフリカにおける人権の介入は、理想的には真に集団的であるべきことから、国連もしくはその権限の下に当局が引き受けるべきである。 第五、緊急事態と対処することが最大の目的であることから、国際社会は影響を受けている人々を保護し、最小限の支援基準に見合う文民秩序を正常化させ支持する状況を努力して作るべきである。 第六、二つの目的、つまり初期段階での軍事的鎮静、および機能的な市民社会と自立した公的秩序の再構築という文民の役割に見合う介入規則を立案する必要がある。 第七、国際的な人道的支援の要請やその受け入れを拒否する政府は、義務と責任の遂行を怠ったとみなされる。国際社会がこれを引き受け実行していくべきである。このように、主権に対する伝統的な概念と、国際社会による保護や援助を通した介入の権利もしくは義務との間に紛争は本来起こりえない。 66.紛争解決はアフリカにおける最も困難な問題の一つである。紛争がすでに激化している国に対しては集団的に終結に向かわせる方法を見いだす必要があり、紛争がまだ明白な戦闘体制に入っていない国については、政治手段によって緊張を緩和させるべきである。 67.紛争解決は根底にある原因の究明から始めなければならない。アフリカ諸国の国境が決定された方法は、しばしば有効的とは言えない多様性と差異の創出を生み出してしまった。紛争解決の第一歩は、少数派と多数派が相互に合意しうる枠組みを定義することである。国内紛争については、政治的解決なくして有効な軍事的解決は存在しえない。一方が当初の交渉に応じなければ、紛争解決が数カ月遅れることは必至であり、その間に犠牲者が発生しよう。 68.アフリカ諸国は近隣諸国の問題に干渉することを慎むべきである。OAUはますます、ソマリアやリベリアの場合のように、国内紛争あるいは無秩序という脅威に介入する機関そのもの,もしくは地域集団が必要であるということを認識する方向に動いている。影響力のある調停メカニズムの設定に関してはOAU内で現在議論されているが、可能な限り早期に前向きな結論を下すべきである。 69.さらなる挑戦は政治意志を奮起させるものではないとしても、その材料と資金源を見いだすことであろう。紛争管理、紛争防止、人道的介入は、莫大な資金ととりわけロジを必要とする。国連は極限まで手を広げており、世界中の紛争地域に介入する能力はないだろう。近い将来、平和維持や介入がOAUにとって選択肢とはなりえないだろう。OAUは、紛争防止を支援する能力の開発に専心すべきである。これは財政的にも軍事的にもさほど困難なことではない。OAUは国連と調和を保ちつつ行動し、集団安全保障のための能力を継続的に強化していくべきである。 一.問題の規模 70.アフリカでは人口の急増が続いている。1990年のサハラ以南のアフリカの人口は5億2,600万人であった。エイズによる影響を考慮に入れても、2050年までには20億人に達し、29億人で静止すると予測されている。しかし、もしアフリカがアジア諸国と同様の人口統計上の変化を体験するとなれば、人口は15億人で静止するであろう。そうであったとしても今日の水準の3倍となり、今世紀末までに避妊具の利用率を現在の平均値である1パーセントから40パーセントに上昇させる必要があろう。 71.急激な死亡率の低下と継続的な高出産率が原因となって、人口の成長率は3.1パーセントと爆発的に上昇している。これは一人の女性が平均約6.5人を出産していることになり、この率は30年前から変化せず、現在の南アジアの2倍となっている。こうした人口急増の波は、社会および経済成長を阻止する主要因であり、しかも人口の59パーセントが文盲で、新生児1,000人のうち100人が死亡するという数値で特徴づけられている。人口の急増は、経済および社会問題に取り組もうというアフリカの努力を挫折させる。しかし、ボツワナ、ナイジェリアから始まり、おそらくその他の諸国も現在変容を遂げているように、アフリカにおける人口統計に変化の兆しが見られる。 72.人口を早急にかつ可能な限り低い水準で静止させる人口増の抑制は、アフリカにおける諸問題を解決の方向に向ける第一歩となりうる。アフリカ各国政府は、一般的な政策処方箋を越えかつ堅実な資金で支えられた具体的な計画を導入しなければならない。以下がその効果的手段である。 (a)女性に権利を与え、その役割と地位の向上に務める。特に教育の機会を広げ、教育水準を全体的に高める。 (b)家族計画に関する情報やサービスを容易に幅広く利用しうるよう、国家レベルで家族計画やそれに関連する福祉計画を改善し向上させることによって、出産率を低下させる効率的な国家および地域計画を開発し拡大する。これらは以下によって達成される。
(c)家族計画プログラムを強化するために財政的な支援を行うよう、援助供与国および国際 機関に誓約させる。この計画を支援するためには、1億5,000万ドルから2000年までには 15億ドルが必要となるであろう。 73.一夫多妻制の禁止を立法化したり、家族が望む子供の数の制限を強いる手段は、文化的伝統に相反し、必然的に個人を弾圧しかねないことから、逆効果を招くかも知れない。その代わり、助言活動を展開し、医師の定期的訓練や学校カリキュラムの改訂に努力すれば、家族計画に関する法令はより効果的なものとなるであろう。つまるところ、経済開発は人々に安全をもたらし、社会開発は家族規模の縮小の必要性に対する知識を深め、認識させるものである。 74.現在のアフリカにおけるHIVおよびエイズ感染者の増大には衝撃的なものがある。HIVキャリアおよびエイズ患者の60から70パーセントがサハラ以南のアフリカで発症している。世界保健機構(WHO)は、この10年間に新たなHIVキャリアおよびエイズ感染者のそれぞれ60から70パーセントはアフリカ大陸で発症するであろうと予測している。今日、サハラ以南のアフリカにおいて750万人のHIVキャリアと200万人近いエイズ感染者が確認されており、この10年間にHIVキャリアは2,000万人となり、エイズ感染者は600万人に達するとみられ、およそ現在の3倍になるだろう。このような人類の惨状に加え、アフリカの病院のベッドの半分近くはすでにエイズ患者で占領されており、今後1,000万人の孤児が誕生することになろう。 75.この問題と取り組まない限り、人的資源および政治的もくろみは不毛となる。効果的な薬品やワクチンの供給が待たれるエイズと対処するために、各国政府および指導者は遅延することなく、的確な政策やアプローチを開発しなければならない。 76.このような活動には、エイズ政策、積極的な公的教育キャンペーン、コンドームの利用促進、エイズとの相乗作用が認められる伝染性性病の処置と管理方法を明確に組織化することが含まれる。医師および保健活動に携わる人々は、エイズを人類の保健問題として取り扱い、援助を通して、エイズ患者が社会生活に適応できるよう指導していかなければならない。これによって、すでに十分とはいえない保健サービスにさらに大きな打撃を与えるということは阻止されよう。さもなければ患者たちは十分な治療も施されず、病院に放置されたままの状態となる。保健施設を運営する企業および民間部門は、公的政策の強化に大きな貢献を果たすことが出来るはずである。 77.アフリカの伝統や文化において、女性は家族、共同体、社会の中で基本的な役割を果たしているとみなされ、評価されている。女性たちはその他の領域での奉仕も期待される。女性たちがアイデンティティ、個性、野心を持っていることなどほとんど理解されていない。特に彼女たちは、人間および市民としての権利を有していると認識されていないのである。これが意思決定の組織や地位から大きくはずされている理由である。各国政府は様々な宣言をしているが、事実上女性たちはその文化的背景からみてもさほど重要視されていない。 女性差別の法律はないものの、実際には多くの女性たちが最高学府における教育の機会を得られず、また政治の世界で重要な地位についた女性はまれである。不平等、差別および不公正を永続させるこのような局面を重視し、人類が産み出した文化の影響について再度見直すべきである。 新たな人間関係への理解を深めるためにも、男女差の問題は国家政策の議題に広く組み込まれるべきである。 78.各国政府は、女性の権利を認識し、女性は社会を支える潜在能力の主要要素であるとし、社会全体の一員としての機会を現実に提供する方向へ態度を変えていく必要がある。政治、経済、社会、文化といったあらゆる分野で肯定的な行動をとらなければならない。特に、農業や環境など女性の生産性を高めるプログラムの開発が推奨される。通常の教育、保健および栄養教育、さらには(特定の財産権の授与と結びついた)信用への取り組みを強化するということは、等しく困難なことである。しかし、このような手段はアフリカ諸国の将来に対する投資でもあり、持続可能な開発を促進するであろう。 79.あらゆる問題を含め、アフリカには極めて大きな可能性があると結論づけることが重要である。同大陸もしくは特定の国家を、まったく無力とみなすことは不当である。アフリカの管理方法も近年諸外国から供与されている多大な援助も適格とはいえない。誰もがこうした失敗から学ばなければならない。上記の分析は明らかに改善の余地が幾つもあるということを示している。結局、アフリカ諸国は国際問題の主流に帰することで利益を得る。彼らは、より積極的に国際交渉の場に立ち、大規模な経済および社会単位を形成し、輸出を一層強化し、国際投資および貿易をよりオープンにし、不必要な紛争を調停し救済する機会を供与するよりも、開発の機会を世界に供与することによってこれを実現すべきである。アフリカは経済復興、債務救済、短期的な政治開発の急成長を中心とした支援を必要としている。開発の余地が膨大にある大陸であることから、明らかにアフリカには長期的なニーズも存在する。最悪な事態とされるのが、その他の諸国がアフリカをひとすじの望みも存在しない大陸であると決めつけていることである。もはやメディアはこのようなイメージを描いてはならない。次に最悪とされているのが、世界がアフリカを無視していることであり、各国が政府およびメディアを自国を正しく知らせるためにのみ必要であると、予防線を張っていることである。我々は、この報告書が上記の問題の終結にささやかながらも貢献すると確信している。 I. インターアクション・カウンシルのメンバー キャラハン卿(英国)−議長 II.ハイ・レベル会議関係者 アレックス・ボーレイン(南アフリカ)南ア民主主義への代替機構(IDASA)会長 |
InterAction Council インターアクション・カウンシル 東京事務局 〒100−0014 東京都千代田区永田町2−10−2−1114号 TEL:(03)3505-4527; FAX: (03)3589-3922 |